kの日記

人生の感想など

2024年06月22日土曜日 家でのんびりした

 7:30に起きれた!顔も洗った!水飲んでずっと野菜室で眠っていた大根をとり大根にするべく料理をしている!賞味期限の切れた料理酒と出汁醤油も消費できるって寸法よ!今は快晴だが今日は雷雨の予報らしい。夫はめっちゃ早起きしてソフトウェア開発勉強大会?のようなものに参加すべく旅立った。夫、毎日勉強してるのに。本当に勉強が好きなんだな…。私も勉強するか…?保育士資格、とるか…?ううん…。挑戦こそ人生だ。おおむねアグリーです。だが…うん…とるか…??
 明け方ずっと指が痛くて寝ながら「痛いなー」と思ってたけど起きたらちょっと良くなった気がする!この調子で治れー!
 今日は教会の会堂清掃がある。教会を掃除するたびに「我が家も掃除しないとなあ」と思う。
 幼稚園の頃、かなり変わった子どもだったらしく、親しい友達がいなかった(私は何人かを親しい友達だと思っていたが、その何人かは私を親しい友達とまでは思っていなかったことが幼稚園の卒園アルバムの「仲良しの友達」コーナーで発覚した)のだが、友達付き合いが下手だったこともあってその時期本ばかり読んでいたのかもしれないと思うと、その時期に読書習慣がついたことは私の言語処理能力の発達に大きく影響したと思うし、言語処理能力が比較的高かったからこそ(←他にも、うちが比較的裕福で保護者の理解があったからなどの理由もあるが)、大学に進学できて、大学のサークルで出会った夫と結婚できたというのは、なんか、人間万事塞翁が馬感があるわね、と思いました。私にとって、幼稚園時代と小学校低学年時代に様子のおかしな子どもだったことは恥ずべき記憶であり、どちらかといえば人生の汚点である、と感じてきましたが、それもそれで今の私(とそれをとりまく幸福)を形成するのに一役買っていたのかな、と。
 とり大根食べた!うまい。とり大根めっちゃ好き。
 あと二十分くらいで出かけないとなー。車を運転しないとなー。本当は車なんか運転したくないが…。仕方がない。本当は教会の近く…隣の隣くらい…に住みたいが…そして家で商売などして暮らしたいが…(←人は信仰共同体に属して日々の生活を暮らすのがいちばんいいんだという思想をぼんやりと持っている)、そういうわけにもいかないやねえ。あーあと10分しかない。お皿洗う時間確保できないかも。
 やっぱ会社でいわゆるお局になっちゃう人ってサバイバルみたいな人生を送ってきたせいで情緒が狂ってしまった人なのかなぁ(憶測)。
 東大と京大が好きすぎる。東大、値上げするのマジか。うーん。世知辛い。
 イラストで、背中に一本の矢が刺さってる女の子が号泣してて、それに手を差し伸べてる女の子の背中に死ぬほど矢が刺さってる、っていう道徳教材?的なイラストがあるんですけど、あれ面白いですよね。いろんな解釈ができて。逆張りでなんとか矢が一本の女の子が泣くのを正当化できないかと頑張っちゃう。手を差し伸べてる女の子は人外なので痛覚がない、とか。矢が一本の女の子の背に刺さる矢は激痛毒が塗ってあって激痛なので泣くのも至極当然、実は背中が矢だらけの女の子の矢は背中に仕込んだ鉄板によって食い止められているので無傷、とか。順当にあのイラストが表現してるのは、苦痛を訴える声の大きい人間の苦痛が人と比べて大きいとは限らない、みたいな話だと思……いや、あれはもしかして、救世主妄想…メサイアコンプレックスを描いているのか?!矢がたくさん刺さっている女の子は自分を救たくて他者を救うのです、しかし……みたいな。いやー、矢が刺さりながらも生きていくってつらいね。そんなんじゃ死が救済ってなっちゃってもしょうがないと思うよ私は。はっ、矢がたくさん刺さってる女の子は、矢が一本の女の子を自分と一緒に死ぬ相手として見定めた、というパターンもある。とすると、矢が一本の女の子の背中に刺さっている矢を射ったのは、矢がたくさん背中に刺さった女の子かもしれないです!そのイラストを見ながら今話してるわけじゃなくて頭の中のおぼろげなイメージを参考に話してるから実際にそのイラストを見たら印象違うかもしれませんが。たしかにね、あのイラストは、「あー、そうだね、大声で泣いてる人より辛い人がいることもある。最もつらい人のつらさが、透明になってしまっていることってあるのかも」って思うにはいい題材なんですけど、なんかね、やなんですよね。なぜかというと私が矢一本で号泣するタイプだからです。なに?黙れってこと?矢が一本で泣いたらダメですか?うるさいですか?もっと傷ついてる人もいる?うるさいんだが?矢一本でもたしかに痛いんだが?お前に何も言われる筋合いない。私が痛いときに他人がどれだけ痛かろうが関係ない。たしかに自分が指先の切り傷で半泣きになってるときに目の前に車に轢かれて複雑骨折してる人が現れたらぎょっとしてテンパりながらも救命に勤しむだろうから自分のちっちぇー切り傷のことなんて忘れるだろうが(←これ書いてて思ったけど自分も手に怪我してるなら血を媒介に感染する病気にいっそう気をつけて不用意に触らないようにしないとダメだな。そういうときに手近なビニール袋とかなかったらどうすればいいんですか?触らずに救命するのは厳しいじゃないですか。本当にどうすればいいんだ?)、精神的な傷とかについては……同じなのか?人は、自分よりも傷ついている他者を身、そのケアに駆り立てられるとき、自分の傷をも癒やしうると…いやそれがメサイアコンプレックスやないかい!たしかに他者へのケアが自分を癒すことも、あるんじゃないかなーと私はなんとなく信じているんですけど、とはいえ自分が傷ついてるときに他人にケアを要求してもよくないですかあ?!「かすり傷でも痛かった」んだが!?(←えっ、調べたら正しくは「かすり傷も痛かった」だった!でもじゃないんだ!でもだとちょっとわざとらしすぎるか。かすり傷も痛かった、のほうが子どもが泣きながら言ってるみたいで可愛いかも。)じゃあさああのイラストで誰が悪いって言ったら泣いてる一本矢の女の子が悪いんじゃなくて、矢がたくさん刺さってる女の子しかその泣いてる女の子を助けてあげない、その、つめたーいさぁ、社会が、周りの人間が、悪いんじゃないですかぁ!?一本の矢で泣いてる女の子に石を投げる資格がある人間いなくないですかって話!石投げてる暇があったら助ければあ!?お前の背中に矢は刺さってないんだからさあ!いや待って待って、たぶん一本も矢が刺さってない人間なんていないんだ、みんな多かれ少なかれ自分の背に矢を刺して生きてる。だから……気づいてないんじゃない?矢がいっぱいの女の子は。自分の背中に矢がいっぱい刺さってることに気づいていない。自分を欺いている。そしてメサイアコンプレックスの赴くままに前だけ見て、傷ついている他者のケアに身を捧げてる。だけど刺さった矢は女の子の体から血を失わせて、着々と死に至らしめて、矢がいっぱいの女の子も次第にコントロールがきかなくなっていく体に直面するときがいつか来るんだ。うーん、だから、もしかして、背中に矢の刺さった他人を見たとき、多くの人は悲しいけど無視をする、だって生活が忙しいからね。だけど手を差し伸べよう、ケアを提供しようと思う人も少しはいて、だけど、そういう心持ちになる人は、ああ違う、忙しくて無視を決め込んだ人もだ、全員、「他人の背中に矢が刺さっているのを見た人は全員」、自分の背中に矢が刺さっていないかを、確認した方がいいんじゃない?背中に矢がいっぱい刺さってる女の子もさぁ、痛がって号泣してる女の子を見て、自分の背中に手を当ててみるべきだったんだよ。そうすれば自分の背中にびっちり矢が刺さっていることに気づいて、「あれ?あれ?こんなの痛いはずなのに、なんで私は気づかずに今まで、嘘、なにこれ、どういうこと?えっ、いた、痛い!痛い痛い痛い痛い!」ってなって、一撃で死ねてたら楽だったのに、どうして自分はまだ死んでないんだろう、どうしてこんな無様な有様で生きていて、この傷だらけの背中を抱えて生きていかなきゃいけないんだろうと、絶望をする、絶望の底に手をつくことができる。あまりに傷の多い人間は自分の傷を自分から隠すんだ。自分を騙し騙し生きていくしかない。傷ついていないふりをしながら。だけど矢を抜くには痛みに直面しないとなんだ。なんで痛いの我慢して矢を抜かされてんだ?ただ生まれてきちゃったから生きてるだけなのに、どうして痛みに直面しなきゃいけないんだ?わかんねー。矢がたくさんの女の子と矢が一本の女の子、互いの手を取り合うことでそれが鎮痛剤となり互いの矢を抜きあえるといいね。よくないですか?傷つけるのも他者なら癒すのも他者っていうやつ。実際人間って他人とハグするとなんか、コ…コルチゾール?下がるらしいですよ。ストレスホルモンのコルチゾール。ハグして抜きあえ。互いの背中の矢を。む!!背中矢だらけちゃんを見た別の子が自分の背中に…背中はちょっと無理があるから、太ももかな…に矢を刺してみる、そういう関係性があるんじゃないですか?!ダメか?これ。こういうの考えるのダメか?道徳を癖(へき)でひっくり返そうとするのって有害か?まあいいか…。別の子が背中矢まみれちゃんに「どうして平気なの?」って聞いて「人間じゃないから」って答える矢だらけちゃん見たいなー。ああ別の子じゃなくて矢一本ちゃんが聞くのでもいいか。でもそう言う矢だらけちゃんはほんとは人間なの。人間じゃないと思い込んでるから受けた痛みを感じていないだけなの。自分も人間だって、何かのきっかけで痛感しちゃったが最後、全部の痛みが襲いかかってくるんだ。かわいそうに。助けてって言っても誰も助けてくれない環境で育って、助けてって言っても誰も助けてくれないことをはっきりと知るのがどうしても嫌で、助けなんか必要ないふりをして生きてきたのに。


 これめっちゃいいなと思った。たしかにー。出会い方って選択できないもんなぁ。出会い方が、役割が、そのときの私の元気さが、違っていれば、築けたかもしれない温かい関係に思いを馳せたくなるね。
 私はたぶん、髪が長くて、別にその髪でおしゃれをしているわけでもない、ただ髪の長い人が、かなり苦手だ(人による!もちろん苦手じゃない人もいる!だけど第一印象で髪が長い人のことを反射的に警戒しがちな気がする。お笑い芸人の男性で髪が長いのは、全然OK。Q太朗とか。なぜそれはOKなのかはわからないけど…キャラが強ければいいのかな…)私は髪の毛ってほんとうに伸ばせない。手入れの面倒くささに勝てない。髪を伸ばしている人は、私にない価値観を大事にしているということが推察されるので、関わるのが怖い。その髪でおしゃれをしてるんなら、わかる。私は面倒くさいのでおしゃれをほとんどしないが、おしゃれをすることの良さを知ってる。でもおしゃれをするでもなく髪を伸ばす!これはどういうことなんだ……ああはい、ヘアドネーションで伸ばしてるパターンってのがありますよね、わかります。ヘアドネーションするためなら髪が傷んじゃうからパーマとかあててらんないし染色なんてもってのほかですもんね。あー、もう、これは本当に私の、本当に、理不尽な、自分でもなぜかわからない、いや、一応見当はついてるな…理不尽な話なんですけど、私、あの、ヘアドネーションのために髪の毛を伸ばしている人が……いや、うーんでもヘアドネーションって大事ですもんね……私も自分の髪が病気で抜けてヘアドネーションしてもらった綺麗な髪でウィッグを作れば、ヘアドネーションへの感謝がわきおこるのだろうが……でもなんでだ?私は献血は大好きなのにどうしてヘアドネーションだとこうも……同じようなことじゃないか?自分を犠牲にして自分の一部を他人のために使ってもらおうとするその精神は。いやー……もう、本当は、そうだな、かつての知り合いに、ヘアドネーションのために髪を伸ばしていた人がいたが、私がその人のことを苦手だったから、だな。(私の話じゃないですけど、→)自分をいじめてた人間とと同じ苗字の人を理不尽に苦手だと感じてしまう、みたいな話だ。そう、かつての知り合いに、髪の長い人がおり、私がその人のことを苦手だったから、髪の毛の長い人が苦手なんだ。それだけだ。長髪もヘアドネーションも何も悪くない。何も悪くないんだ……。
 
 RS?のワクチン35000円か〜。高いけど打ちたいな〜。妊娠したら。ワクチン好きだから。重篤化を防ぎたい。
 昼にバカウケと蜂蜜パンを食べた。
 予約資料受け取りとキッチンペーパー購入のタスクは今日か明日のうちに…いやキッチンペーパーだけは今日買わないと!
 おやつにとり大根とヤクルトを食べた。とり大根うますぎる。
 ちょっと憂いを帯び過ぎている気もするけど短歌の形になったから載せとこうね……→「最近は幸せだからいつの日かカントみたいに死ねる気がする」 ←「カントみたいに死ねる気がするなぁ」と思って、これって77じゃんと気づいたので前に575をくっつけて成形した。死んだ偉人って、私にとって大きな慰めなんだよな〜。
 17時にカルピスと蜂蜜を入れたヨーグルトを食べた。食欲がおさまらないな。うどんにたまごと出汁醤油ととろろ昆布をかけて食べた。ん!?とろろ昆布って酸っぱくないんだっけ!?それは都こんぶだ!とろろ昆布を誤解していたな……今日は夫が遅くまで帰ってこないので1人だ。
 キューティーブロンド2を観ている。なるほどー。やっぱLGBTQをこう、排斥まではしないけど大手を振って受容するわけでもない、そういう感じ……?
 車いすの子が出てくるファブル観た。面白いけど怖い。つらいねえ。