4:00就寝11:50起床。
昼。ナッシュの油淋鶏(うまいっ!!)、白米?、桃(夫が剥いてくれた)
夜。ナッシュの唐揚げ(うまい!)、白米、梨
夜食。フルグラ
1日を通して、なんか他にも食べた気がする。牛乳を飲んだりした気もする
今ポケモンスリープ(ソシャゲ)でスイクン(とてもレアな伝説のポケモン)のリサーチイベントが開催されているから頑張って起きた。カビゴンの朝ごはんを作るために。(ポケモンスリープは、カビゴンにエサをあげて大きくし、その眠気パワー(?)をもって様々なポケモンをまわりに呼び寄せ、眠るポケモンたちを図鑑登録していくというゲームです)
今日は元気なので朝から布団カバーやらシーツやら一切合切を洗濯した。今日は晴れですからね~!最近全然寝具洗濯できてなかったので嬉しいです。やっぱり洗濯した寝具で寝ると違う感じしますよね。→実際寝た感じあんまりよくわからなかったけど違ったのかな……。
ナッシュの様式が変わった!これまで副菜は三つだったんですけど二つになった。変わるんだ、容器!
過保護のカホコおもしろ〜い。
「ロストケア」観た。悲しかった。泣いちゃった。以下ネタバレあり。父親が息子にぶたれて子どもみたいに泣くところ、本当に悲しかった。父親にお別れをするときに息子が泣くところ、本当に悲しかった。終わり方もよかった。「人にしてもらいたいことはなんでも、あなた方も人にしなさい(うろおぼえ)」でもあるし、「この中で罪を犯したことのない者から先に石を投げなさい(うろ覚え)」でもあると思った。あの人は人を殺した。人殺しだ。けれども何かが違っていれば、人を殺したのは私だったかもしれない。いや私だった。私も人を殺したのだ。彼は罪を背負った。しかし私は、私の罪を……どこにやった?最後、「泣く人と共に泣きなさい」でもあった。人々の間に分断がある。死刑を求める人がいれば、死刑の撤廃を求める人もある。けれど人にある弱さが連帯を可能にするのではないか。私たちは、こんなにも違ってしまった。立場が違う。考え方が違う。けど私もあなたも誰かから生まれた。それは同じ。同じところからこんなにも違ってしまったことの悲しさ、残酷さもある。喪う悲しみはたぶん同じ。ああ、「親」!!人は親を求めてる。頼れる父、優しい母!必要なときにヨシヨシとしてくれる親を!だけど親も人で、人は不完全で、子の求める愛情を親が持ち合わせていないこともあるし、必ず老いて、死ぬ。だから神が、必要じゃないですか?!神が。天の父なる神が!カトリックの聖マリア信仰は「母」への希求だと私は見ている。私たちは、親が欲しい。私たちには、親が必要なのです。私たちは、自らが大人になり、よしんば親になったとしても、「親」が心底必要で、けれども実存の親はそれに応えられないことも、ある。よくある。なので神が、やっぱり必要じゃないですか!?私はいてほしいよ、本当に、父なる神がいてほしい……いてくれれば私がもし親になって、もちろん私も不完全な人間だから子の親を求める心に応えきれないということになると思うけど、私にだけ「親」の責任があるのではなく、他ならぬ神が子どもの父であり、それだけでなく、神が私の父でもあるなら、ほら、助かるじゃないですか?!?