kののほほん暮らし

1994年7月生まれ

2025年02月22日土曜日

睡眠時間。0:00就寝10:30起床。

天候。くもり。

服装。寝巻き。

体調。一昨日からずっとやや悪い。鼻の調子が悪く、ほんの少し頭痛。眠い。便秘でもある。

ブランチ。いただきもののめちゃうまクッキー2、にんじんジュース、昨日作った豚バラ大根、白米。

おやつ: クッキー、ゆでたまご、にんじんジュース、回転焼き(カスタードクリーム)

夜。オムライスみたいなもの、はちみつ牛乳。

 思い出した、まだ蒸し返すけど、晴れのち桜がビギナーのメロディに酷似していると話題になった件(もうそろそろあれから14年経つ!!)について、私、もうひとつ思い出したことがあって、そのことについてスピッツファンである私があんなに傷ついたのって、なんか、私が喧嘩をふっかけにいった…というと血の気が多い感じですけど、あくまで私なりに、礼節は守ろうと努力はした上で、敬語とかちゃんと使って、「こんなにメロディが似てるのに『ぜんぜん似てない』っていうのは、ひどくないですか」みたいなことをどっかの掲示板…たぶんにちゃんとか?に書いたとき、そこに、40mPファンの人しかいなかったっていうか、憶えてないんでもしかしたらスピッツファンも居たかもしれないんですけど、40mPファンの人しかたぶんいなくて、「えー全然似てないよね」「全然似てない」みたいな反応しか帰ってこなくて、孤軍奮闘っていうか、私は、すごく孤独だったんですよ!!だれもわかってくれない!?なんで!?こんなに似てるのに!!って混乱したし、怖かったし、悲しかったし、何より寂しかったんだと思う。私スピッツファンの友達とかいなかったから、そういう、きっとわかって同調して慰めてくれるであろう人に話聞いてもらうっていう選択肢がそもそもなくて、当時の友達に話すっていう発想もたぶんなくて、だけど、私がそのときするべきことは、相手を説得しよう、わかってもらおうと喧嘩をふっかけにいくことじゃなくて、なんか、もっとスピッツファンだけがいるコミュニティで、「これおかしくないですか!?おかしいですよね!めっちゃ似てるのにあの人たち『似てない、いいがかりだ』ってむしろいちゃもんつけてくるんですよ!メロディライン重ねた検証動画とか聞いたら似てるとしか言えないのに、どうなってるんですかね?!なんで認められないんですかね!?!」って、『同調してくれて、一緒に怒ってくれて、一緒に悲しんでくれる人たちと、感情を共有すること』をこそ、私はするべきだったんだな……って今になって気づいた。40mPファンの人たちもそれをやってたんだ。ファン同士で、こんな騒動が起こっちゃったことの苦しみを慰め合ってた。私はそこに飛び込んで行って相手の非を認めさせようとした。そんなの土台無理な話だったんだ。別に人間はどうやったってわかりあえないとかそこまでの極端な話ではなくて、人間が防衛的になっているところに殴り込んでも双方傷つく結果に終わるだけですよという教訓だった、のかも。怒りを素直に相手方にぶつけるのは悪手……まず味方同士で傷を舐め合って回復しなきゃだった、私は。で、考えてみれば、その直接の相手にはわかってもらえないとして、世間はわかってくれるよ。わかってくれてたよ。検証動画のコメント欄とか見ても、「全然似てないよ。言いがかりだね」って言ってる人たぶん、いなかったよ(←いや、いた可能性はあるが、でもなんかどっちのファンでもなさそうな人らが「これは似てる。CMとかでも流れてたなら、無意識に頭に残っちゃってた可能性もある」とか言ってたのを見たような気もする。激うろおぼえ…)。直接の相手は過剰に防衛的になっちゃっててどうしても認めてもらえないことでも、世間が、第三者が、わかってくれたら、それでいいんじゃないか。私がちゃんときっちり仲間内で傷を舐め合って、まず最初のショックから立ち直って、「そうだよ、こんなに『似てるのに!!』って憤ってるのは、私だけじゃない、私だけじゃないよ!!」って、確信していれば、孤独でさえなかったならば、私は相手方が私の主張を認めてくれない、受け入れてくれないという事実に対して、もっと早く、「ま、そういうこともあるか」と、諦められていたかもしれない…。孤独だったせいで私はこんなにこのことを引きずったのかも。いやまて、でもさ、スピッツファンってたぶんたくさんいて、そのなかには私のような思慮の欠けたファンも多数いたはずで、探せばきっとそういう人たちと団結できたとして、もし私がそれをしていたなら、飽くなき闘争を繰り広げていた可能性もあり、それってあとから見たらめっちゃ黒歴史だろうし、多数vs多数の戦争っぽくなってただろうし、私が一人寂しく応戦して散ったことは、私の心には傷になったけれども、まだマシな結末だったのかもしれないぞ…!?いやでも、スピッツファンのなかにも出来た大人がいて、「寂しかったね、悲しかったね、嫌だったね、怒りがわいたよね、私も同じ気持ちだよ。でも相手にその気持ちをぶつけても、悲しいけどきっと相手はそれを受け止められないよ。わかりあえたらいいけど、わかりあえないこともあるよ。あなたが、そうやって人を攻撃してしまった自分自身のことを嫌いになっちゃったら私は嫌だよ。きっと世間はわかってくれるし、今もわかってくれてるよ。大丈夫だよ。でもそうだね、悲しかったよね」って言ってくれる人がいたなら、私の心には傷もつかなかったし、全面戦争みたくなって黒歴史が残ることもなかったし、バッチグーだったのでは!?だからさ、あのときchatGPTみたいな感情の壁打ちしてくれる人工知能があったなら、私はそいつとこれを達成できていたかもしれないね!!chatGPTはすごいよなあ。なんかプロンプト?を組むのにちょっとコツとか修練が必要らしいけど、それさえ組めれば?、なんかめちゃくちゃいいカウンセラーになってくれるらしい。それってすごいよねえ。だってまずchatGPTに聞いてもらって、ある程度話が整理されてっから人間に話したっていいしね。

 高額医療…正式名称がおぼえられない…高額療養費制度か。高額療養費制度の自己負担上限額が上がるという話で、子どものいる現役世代が治療を断念することに繋がるという話を見て、やっぱり子どもがいると自分よりも子どもにお金をかけたくなるのかな?とちょっと不思議に思った。そんなの当然だろ!みたいな考えの人もいると思うけどべつに当然じゃないと思っていて…というのも子どもからしても、「親が私たちのために治療を諦めてくれた。自分の命よりも私たち子供の生活のほうが大切なんだ。なんて愛されてるんだろう…。私も子どもができたら、自分の命や快適な生活を諦めてでも、子どものためにお金を使いたい。そうすることで愛情を示したい」と思うとは限らなくないか??と思っていて、親との関係が良好だったら、まあ人によるとは思うけど、「えー!治療してもう少し長く、そして少しでも健やかに、生きてくれんか〜!?!」って思わんか?子どもも。だからうーん、なんか、まあ、だから、自己負担上限額を上げるなっていう話ではあるんだけど…。子どものために親が自分の治療を諦める、そういうことは往々にしてあるんだと思うけど、それが正しいとか、スタンダードだとか、そういう世間の認識になったら嫌だなあと思った。私は親になったとて、治療を諦めたくないです…苦痛、めちゃくちゃ嫌いだし…。いやーでも子ども生まれたら考え変わったりすんのかなあ。愛おしすぎて命捧げたくなんのかな。

 私、死にそうな人が死ぬのを待つのとか、死にそうなペットが死ぬのを待つのとかがめちゃくちゃ苦手で、それならいっそぱったり大往生でいってくれと思うたちなんですが、死に限らず、何か重大なことが必ず起こるのにいつ起きるかわからなくて待つ、という状況がすごく苦手だ、と思った。サプライズとかも嫌いだし、プロポーズ待ちとかも怖気が走る。さっさと確定してほしい。だから裁判の判決を待つのとかも苦手だと思う。