0:00就寝8:45起床。
雨!!久々の雨だなあ。ちょっとみぞれになって、夕方にはすっかり止んでいた。薄茶色ワンピース。体調: かなりいい。便秘小康!なんといっても精神が元気。
朝。ラスト温泉たまごご飯
昼。無印の牛すじカレーにうどんをいれたもの、黒胡麻せんべい、チョコ2、たまごボーロ、お土産のずんだ味?プリッツ
おやつ。お土産の狭山もち?、いただきもののブラックサンダー
夜。海老天、にんじん天、クッタのトマト味?(食べてみたらあんまり好きじゃなかった)、カルピス、引き出物のケーキ
バイト!たーのしっ!かなり気分がいい。
今日なんか帰り道に運転しながらすごく感動して四粒くらい泣いちゃったことがあって、何かというと、なんか、人って自分が他人からどう見られてるかをすごく気にする生き物だなと思う出来事があって、人って、自分のことを自分で守ろうと必死になりすぎて、他人を慮ることにまで気が回らなくなってしまうことがよくあるよな、と思ったんだけど、そうやって私が必死に自分を守ろうとしていたその必死さ、切実さ、恥、そういったものを、神様はご存知なんだ、と、そう思ったんですよね。そんな神様こそが、私を真に守ってくれるんだと信じることができたならば、私もやっと、自分で自分を守ろうとするその呪縛から逃れて、もっと自由に、他人のこともちゃんと、心配できるようになるんじゃないかと、そう思いました。私、ホームレスって本当に苦手で、東京にはホームレスがいっぱいいるから東京には住みたくないんですけど、みんなホームレスを無視して歩いていくじゃないですか。それって冷たくない?!まあだからといって無視する以外どうすればいいかとか私だってわかんないけどさ、これが問題だと、思わないのかな!?って糾弾するような、心細いような気持ちになることが多かったんだけど、あれってホームレスに自分を見ていたのかも、と思ったんですよね。たぶん多くの人にとってホームレスって、なんだかんだ、他人事なんじゃないかと思った。私は世界の中心が自分だとつよく思っていて、自分を通して世界を見ていて、ホームレスにも自分を見ていたんじゃないかと思う。世界の中に自分がいて、その世界には他人もいる。それは頭ではもちろんわかってるけど、私の世界観はそうじゃなかったんだと思う。私が世界の中心だし、私には私がなんたっていちばん大切で、大好きで、守らないといけないものだった。だけどもし私が神様からの愛とかをそういうものを信じられるなら、私は私をついには相対化できるんじゃないかと思った。そのほうが私は自由になれて、自分にとっても、他人にとってもいいんじゃないかと思った。そういうことを思いました。今夫が伊藤のえさん?という大正を生きた女性に関するボイシー?(音声配信)を聞いていて、私もそれを漏れ聞くことがあるけど、のえさんは自分はエゴイストなんだとはっきり自覚し宣言したらしい、という話をしていて、なんかその、私の世界の中心が知らず知らずのうちに私で占められていたことは、自覚なきエゴイストであったということなんじゃないかと思って、この自覚なきエゴイストっていうのは、結構厄介な問題なのではないかと思って、のえさんみたいに、エゴイストである自分を自覚するということが、無自覚に肥大する自我を抑制することにもつながるのではないか、とも思いました。