kののほほん暮らし

1994年度生まれ

ちいかわの映画観たよん 2026年8月15日土曜日

 終戦記念日だなぁ。
9:30
 起きた。冷凍唐揚げに砂糖とめんつゆとお酢をかけてごはんで食べた。うまーい。カルピスアイスバーも食べた。
 ねむい。気分上がらぬ。左鼻の調子も悪い。
 赤ちゃんがくるくるサンサンカーという木のおもちゃを持ち上げて遊んでいるのでいつか赤ちゃんの足の指や甲を落下したくるくるサンサンカーが酷く痛めつけるのではないかとヒヤヒヤする。没収するか悩ましいが…没収しておくか…骨折でもしたら面倒だしかわいそうだからな…。
13:15
 夫がゆでてくれたそうめんを食べる。
 ちいかわの映画を観た。危機感を刺激された。ポリヴェーガル理論?の初学者用の本を読み始めたタイミングで映画ちいかわを見たのでポリヴェーガル理論の用語(ポリ語)で考えると、ちいかわを見た後の私は、赤青だった。まわりの人たちが、敵のように感じられた…。ちょっと疲れてるときに観たのがよくなかったかもな。なんか食べたくなってミスドのオールドファッション(たしか176円)とドラッグストアで買ったコーラ(350ml たしか63円)を食べたけど、あんまり美味し〜♡とも思えなかった。もぐもぐ…ハァ…って感じ。映画で「食らった」かも。ちょっとね、やっぱヘビーよな、テーマ。永遠。罪。友情。罰。
以下ネタバレあり感想。
・ボンドロ、私は興味ないけど、ちいかわ好きな知人にあげよかなーと思ってもらったら、もらった瞬間「あら、宝物」みたいな気分になっちったね。恐るべしボンドロ。貼ろうかなー、気が向いたら。どうするかなー。もうボンドロの在庫が終わってる映画館もあるってTwitterで観たので、もらえないかもなーと思ってたらもらえた。うーむ。なんかいまさらもらえなくて泣いちゃったお子さんとかいたのかなって心配になってきちゃった。やっぱもらわないほうが、心が平和だったかも。
・お子さんが怖がる声とか、ちいかわをあんまり知らないで観にきてる人の怖がる声が聞けるらしい、とTwitterで見かけて、悪趣味にもそれを楽しみにして観に行ったんですけど、マジで一声も聴こえなかった。一緒に見てる人たちの鑑賞マナーが完璧でがっかりすること、あるんだ。
・こんなに座席が埋まってる映画みんの、10年ぶりくらいだわ。私が公開終わりかけの平日真っ昼間とかに行きがちなせいもあるけど、地方都市のシネマ、もうポツポツとしか席うまってないのがデフォで、ま〜隣に人は座らんねみたいな感覚だったから、隣に人がいる状態で映画観るのが新鮮だった。映画の座席ってひじかけ共有なのキツいわ(二重の意味で)。片側の席、チケットは売れてたはずだけど人が来なかったので、それでもまだ窮屈感は少なかったはずだけど。
・ちいかわの映画鑑賞マナー喚起映像が観られるもんかと思ってたらそんなものはなかった。ガーーン。あれ?ナガノ先生の、あれに自キャラを出す夢がついに叶ったって、どこかで言ってなかったっけ?!それはどこで観られるのん!?
・開始早々ハチワレの「なんか疲れちゃうときあるよね…」みたいなセリフで涙ぐんだ。なんか疲れちゃうときあるから。
・セイレーンの自己紹介かわいー。
・ウサギラップが本当に良かった。2回やることで1回目が伏線みたくなってオーッ!てなるし、2回目を決戦でやるってのも満を辞して感あっていかすし、単純に2回聴けるのが嬉しい〜。2回目パワーアップバージョンだし♪
・島二郎の登場シーン本当に面白かった。もし酒飲んで観てたら爆笑してたかも。
・島二郎はなぜ麺を出さないのか?
・セイレーンが島民を味噌漬けにしてるの怖すぎる。私は拷問がとても苦手なので、このシーンが映画中でいちばん怖かった。
・島二郎の「俺はついでに貝を取ってくる」かっこよすぎて泣いた。どなたかが、島二郎はモチーフは「大人」なんじゃないか、と言っていたが、こういう大人でありたいものだ、な。
・ラッコ先生かっこよすぎる。
・キャロライナリーパー入りカレーで悶絶するセイレーンすーごい可哀想。
・原作漫画あんまりしっかり読んでないのもあってヒトハフタバは最後、セイレーンに償いに行った説もあるんじゃないかと思ってたけど、映画の感じ、それはないかあ。
・原作漫画にあるという、ウサギがちいかわをわしゃわしゃするシーン?はたぶんなかった。そもそもそういうシーンが原作漫画にあるかどうかも確かめてないからちょっと確かめるか…。えっ、どこのシーンの話だ!?捜索中…。→あったー!キャンプファイヤーでハチワレの何かあった…?に首横に振って答えた後だ!映画ではよく観てなかったからグワシグワシがあったかどうかわっかんない!!→xでいわしさんの感想を見たら、結構長めに撫で回してるシーンがあるらしい!あったんだ〜!よかった〜!
・なんか映画を観てあらためて、もうちょっと子どもとかに対しては、まだ言い訳のきくような終わり方でも、よかったんじゃ!?と、なんか、お節介にも、思ったね。「たぶん単三見られちゃった…」からの、セイレーンたちがきらりんちょ!は、さすがに罰確すぎて…。まあ、それがナガノ先生の望んだことなら、いいんですが…。いやでも、たぶん単三見られちったよネ…ウン…のシーンは、なくてもいいんじゃない!?と思った。そこ、確にしなくても、いいかな!?って私は…。
・誰かがXかなんかで言ってた、ヒトハフタバは戦場を移してここからゲリラ戦に持ち込むのだ……というふさげ感想が、いっそ可笑しく、その可笑しさに、心救われもする……。
・ナガノ先生が映画制作に心ゆくまでガッツリ関われたらしいのは、本当に本当に!!よかったと思う。だってナガノ先生がそれなり〜の、漫画の原作者が関われるまあ妥当な範囲内での関わりにとどまっていたらば、これを観た者たちが、「ナガノ先生は!こんな描写、望んでなかったと思う!先生にとっても!解釈違い、だと思うッ!」と血の涙を流しながら不毛な戦いを繰り広げ、多数の焦土を生み出したろうから…。まあ一定、観客が解釈違いと感じる描写があったとしても、「これがナガノ先生の表現したかった世界ならば、まあ…」でおさまるほこもある。
・今日自分がついにちいかわ映画を観て、以前読んだぬまがさワタリさんの映画感想のことを考えてた。https://numagasablog.com/entry/2026/07/31/182507 私が気になった部分だけ要約すると、「映画は本当に素晴らしかったけど、しるこサンドとかが急に出てくる「ハイコンテクスト」さが、ちょっと、がっかりなんだ」って内容。おお、ぬまがさワタリさんが書いてる媒体、てっきりnoteだと思いこんでたら、はてなブログだった!!noteがど流行りしている今、はてなブログを使っているとは…。えーでもさ、話戻るけど、私は、全然わかんない、その感覚。ダメなの?別によくない?なんかそういう、自分たちにはわかる「ローカル商品」とかが作品中にポッとでてきてキャッキャする、インターネットのオタク的感性が、そんなに、言われるほど、問題?問題だってぬまがさワタリさんは言ってる。ローコンテクストであることが、そんなに、いいことかなあ。わかんない。ヌマガサワタリさんが、ちいかわと比較してローコンテクストだと挙げている作品が「私がビーバーになる時」「野生の島のロズ」他いろいろ…で、私は「私がビーバーになる時」しか見てないけど、うーん…そりゃ、たしかに、「わたビバ」に「しるこサンド」は出てこないけどさ…うーーん…でも、作った国の文化は絶対になんらかの表現で作品中には出てきて、それは他国他文化の人が見たら「へーそういう文化あるんだねーそっちは」ってなるけど、それは必ずしも悪いことじゃないですよね?それと「しるこサンド」出てくることの違いって、そんななくないですか?たとえば欧米圏なのかな、「シュガーラッシュ」とか「トイストーリーの短編アニメ」とか観て気づいたんですけど、やったらめったら「自助会」が出てくるじゃないですか。円になって座ってひとりずつ「やあみんな、僕はアーサー」「ハーイ、アーサー」みたいにやっていくやつ。当事者自助会、日本にもあるけどそんなに知られてないし、ぱっと見「ん? ああ、こうやってなんか自分の境遇とかを話し合うのね」って、一瞬よくわかんないけどわかるじゃん。しるこサンドも「“しるこサンド”?あー、なんか、罠のエサにしてるな、あんこの挟んであるお菓子か何かー」って、わかるじゃん?それって別に、よくない?まあ別に悪いとは言ってなくて、ぬまがさワタリさんはただ、自分もインターネットのオタクの一員だから、批判とかじゃなくて自戒をこめてちいかわって「ハイコンテクスト」だよね~って言ってる感じはする、し、あとほんと言葉は選んでる感じはして、「ハイコンテクスト」なのが悪いって言いたいわけじゃないんだよ~ってことはしっかりめに言ってる。そのうえで、やっぱり「ローコンテクスト」(普遍性のある??)な作品を作るのって覚悟がないとできないことだから心を割いてできるだけローコンテクストな作品がよくよく評価され、そういった作品群が制作されていくことを共に願いませんか??みたいなことを言ってるんだと思う。でも私がぬまがさワタリさんの感想文を読んだときにまずまっさきに覚えたのは反発心、反感で、それは、私が「ローコンテクスト」な作品を殊更大事にするのは面倒だからだ。あと、「ちいかわは『ハイコンテクスト』でちょっと…って言われてる、けど私には、それがよくわからない」という状態それ自体が、気まずい。私って、私にもわかるものが好きで、私には分からないものがかなり、嫌いなたちなんだ。私は村上春樹作品の良さがあまり分からないけど、世間では大大大人気だから、村上春樹作品が苦手だ。いや、書いてて気づいたけど今はそうでもない。まあそういうこと(私にはわからないけど世間では大人気ということ)もあるわなって、落ち着いた気分でいられる。前は、すごく苦手で、その印象が強かったので、今も苦手だと思い込んでたな。だからこのぬまがさワタリさんのこのちいかわ評に対する不安感からくる反発も、そのうち消えるのかもしれない。待って、でもまだ言いたいことある。「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」ってそんな、「具体的な商品名が出るか否か」みたいな基準で使われる言葉なのか? えーとつまり、そもそも、ちいかわが「ハイコンテクスト」だっていう前提に対して、文句がある。これさっきまで書いてたことの続きだけど…別にいうて、ちいかわは、ハイコンテクスト?でもなくない…?ハイコンテクスト…?ハイコンテクストって何…?だってどの作品にも、世界観はあってさ、その世界観は多かれ少なかれ新規で観客の前にお出しされるもので、それがハイコンテクストだかローコンテクストだかって、何が決めるの?『商品名が出るかどうか』って基準ならたしかに、ちいかわは急にローカルお菓子の商品名を出してたり、「郎」とかも出てくるから、まあたしかに、「ハイコンテクスト」に相当するんだろうけど、でも、そうだとすると、作品を「ローコンテクスト」にしたいなら、全部その作品にしかないようなオリジナルの食べ物?か、「サンドイッチ」くらい普遍的?でみんな?が疑問なく見てわかるような食べ物だけが作中に出てくればいいっていうこと? 現実のモデルがあるかどうかがそんなに、なんか、問題があることかな? 私、わかんなくて、不安で、不安だから怒ってる。怒らないで!大丈夫だよ!落ち着いてね!ね、でもさ、映画オリジナルのたべものだって、その作成国の文化の影響か、その作成陣が参照した文化圏のニュアンスは出るから、オリジナルだったら「普遍的」とも限らないし、ただの「サンドイッチ」だって、サンドイッチがない国の人が観たら「へー、奇怪な食べ物。え、こういうの、他国の人は日常的に食べてるんだー。おいしいの?」ってなりうる。それが、作品の持つ「普遍性」に、何か影響があるかな? なくないかな、って私は思うんだ……。あ、あ〜、なるほど、もう一回ぬまがさワタリさんの文章を読んで、読み落としていた点が…たぶわぬまがさワタリさんは、なんか「ん?」ってものが出てきても、「作中で」それが解消されてれば、それは世界観だけど、ちいかわの場合は、出しっぱなしだから、出したくて出しただけで、作中での辻褄合わせとかはないから、それが「ハイコンテクスト」だって言ってて、その「ハイコンテクストさ」を生んだのは、インターネットのオタク的感性で、それが別に悪いってわけじゃないけど〜〜ってことを言ってんのか。それはたしかに。そうですね。ちいかわは、投げっぱなしではあるかもな。納得。いやー、ここで「ローコンテクスト傑作」のひとつに挙げられてる「羅小黒戦記」(読み方わからん…ロシャオヘイ戦記だって。)、観たいんだよなー。面白いらしい。そう、観てはないんですけど、でもなんか、制作経緯的に、漫画の映画化作品である羅小黒戦記が「ローコンテクスト」張れるなら、ちいかわはなぜ張れないのか、気になった。
追記がけっこう私にとって重要なので引用する…
“ 8/1追記:『羅小黒戦記』はローコンテクストなの?という声もちらほら見かけ、確かに設定や世界観に入り組んだ側面はあるものの、「妖精と人間が共に生きる世界」という単純な枠組みをもち、単独の映画として普遍的に開かれた物語として、ローコンテクストな作品として捉えている。コンテクストの高低は、世界観や設定や物語が「単純/複雑」という区分とはまた別の概念として考えたい”
 うーーん…私はちいかわと、それをヨシ!とする自分を擁護したいので、ついこう、えーそうかなーみたいな心構えでこれを読んでしまうのですが、これで言えばですけど、全然、ちいかわも「ローコンテクスト」張れるくないですか?単独の映画として…あー、でもさすがに無理か…さすがに完全初見だとちいかわ映画は意味不明なところも多いのかー…そこらへん羅小黒戦記は漫画の映画化ではあるけど、登場人物を絞るなりして、映画単独で観てもいいってな具合に、うまくやったのかな…。いやでも、原作があろうとなかろうと、すべての映画が、映画単体で、それだけを観る人にもなんとか世界観を説明し、話の筋をわかってもらおうと努力するわけではあって、原作があるほうがその難易度は大きい気もするが、原作がなかろうが設定が複雑すぎて難解になってしまう映画というのもありうるし、原作の有無は究極的には「映画単体で成立するか」という基準には、関係ないか…。うーん。わからん。えーでもでもだってだって、映画単体の話するなら、ちいかわの「映画」には湧きどころの話とか出てこないし……そりゃ私も映画観てて「あっ、島二郎の店、ビールとか扱ってんだ。どこから仕入れてんだ?」とか「あっ、くりまんじゅう缶ビール飲んでる。この世界観でどこから仕入れてんだ?」って疑問に……疑問に、思ったね!!!!!!!!!思いました!!!!!!!!!これね!これが「ハイコンテクスト」だって、言ってるわけだ!!うん!うん……ねえ、でもさ、でもだよ、でもまだ言いたいことある……ちいかわの映画も、枠組み?は、単純…と言えそうじゃないか?仲間と力を合わせて強大な悪と戦うっていう…いや枠組みって何を示す言葉かつかみかねてるけど、物語の筋という意味ならば…で、日本の製品がなぜか流通してるのは…もう、なんかしらんけどそういう「設定」なんで!じゃ、だめなのか?なんでもかんでも観た人が理解できる、道理のある「設定」じゃないとだめなのか?「ローコンテクスト」張れないか?なんかよくわかんないけどそういうのがあるよじゃ、だめなのか?だめ…とは言わないけど…とぬまがさワタリさんは言ってる…。うーん……。コンテクスト…。コンテクスト…。話変わるけどやっぱなんか、「『作品が』ハイコンテクストだ」とかっていうよりは、コロケーションとしては、「セリフがハイコンテクストだ」とか「演出がハイコンテクストだ」みたいな使い方が私にとっては自然な感じする…という「コンテクスト」の使い方であれば、私の感覚では、ちいかわは、全体的に、コンテクストは、ハイではない……「作中に説明なく飛躍した設定(なぜか日本のローカル食材が頻出)が出てくることは、ハイコンテクストだ」と、そう言うなら、たしかに、そうです…。インターネットのオタクにウケるのもあってそうなったんじゃないかと、ぬまがさワタリさんは言ってる…自分がインターネットのオタクだからって気軽に卑下しすぎじゃないか…?自分もそうだから自戒をこめて…みたいなエクスキューズに、私は慰められはしない…。まあインターネットのオタクにもいいところあるよな!で文を結んでるし、そこらへんの反発もおりこみ済みという感じはする。むう…。
 あと、あの、ローコンテクストじゃないとよくない点として、コンテクストのわかる大人にはウケるけど、わかんない子どもにはハーン?ってなっちゃうんじゃないか、って話には、思うところある。子ども、そんな簡単に、ハーン?ってなるか?子どもって、わかんなくても、わかんないなりに飲み込むと思う。むしろちいかわの世界観って子どもの世界観・感性に近いものがあるとも言われてるし…なんかよくわかんない怖いやつをやっつけて、仲間とおいしいもの食べて、なんか洞窟とか、なんかシンプルな半円の家とかに住んで、昼間は自然の中で遊んだり、働いたりして、屋台で物を売ったり買ったりして、そこらへんになってる実とかを食べたりして…。ああ話それた。ええと、子ども…って何歳くらいを想定してるかわかんないけど、ブルーイが二足歩行の犬だろうが、「なんで犬が歩いてるの?変だよ。変だからもう観ない」となる子どもがほとんど存在しないように、「なんでちいかわの世界に缶とか瓶のビールがあるの?工場なんてなかったよね?説明もなしにそういうのが存在するのって不親切だし変だと思うから、ちいかわってあんまり好きじゃない」とか言う子どもも、同様に、ほとんど存在しない、と思う。知らないけど…。だから、子どもに配慮して、子どもにもわかる理屈の通った創作世界をこそ、大人は用意するべきなのではないかという提言に、私は賛同しない。大人もみんなで「子どもも楽しめるような」作品が制作されるのを応援しませんかという提言には、賛同する。ただ、子どもは「ローコンテクスト」だと楽しめるけど、「ハイコンテクスト」だと楽しめない、と、私は思わない。うーん、でも、とにかく、ぬまがさワタリさんが心配しているのは、単独オリジナル映画みたいな、基盤の、言ってみれば弱い作品が、今後ますます創られにくくなっていくことは、とても損失だから、子どもも楽しめるような多様な映画が作られてほしいということだろうとは思うので、私もそれは本当に、そうだなーと思います。同意します。
・えーと、死にそうになった方はヒトハか?フタバか?フタバらしい。じゃあ、人魚撲殺したのがヒトハか。ほー。原作漫画のそのへんを追えてなかったから知らなかったんですけど、永遠の命を得ちゃったフタバが取り乱してヒトハにも永遠の命を得るよう泣きながら強要して、ヒトハは最初少しそれに対抗するんですね。てっきり取り乱すフタバを見て、ヒトハが自発的に食べるんだと思ってた。でもそうするとフタバがあまりにも、ヒトハの感情が重すぎたことの被害者になりすぎてアンバランスだ。フタバが「ヒトハも、食べてえええ!泣怒」って、自分がされて嫌だったことをヒトハにもする罪深さを見せてくれないと、二人の、罪…?(ヒトハの罪では…?)って感じになっちゃう。
・セイレーンにカレー食べさせるときのバレー式打ち上げのアクション良かった〜♪
・えーと、セイレーンのしっぽからハチワレたちをかばって瀕死になったのは、どっちだ…?フタバらしい。ふむ。じゃあヒトハが、電池がふっとんじゃって止まったフタバに電池を入れたんだ。そこがこの映画でいちばんエッ!?て思った。なんでちいかわたちがお見舞いに来ているまさにその場で電池入れちゃうの〜!?あまりにも迂闊じゃない!?かなり意味がわからなかった。度を越したうっかりさんなの!?
・ハチワレの声優さんが声変わりしつつもハチワレ声を出そうとしている様にIFの変異ハチワレの影を見ていますか!?ナガノ先生は!?
・ちいかわの声優さんの歌声やさしーっっ!
・くつずれの歌詞、ポリヴェーガル理論を読んだあとだったので、これは赤強めの一日を過ごして一晩寝たら青強めになった朝の歌だ!と思った。くつずれしたってことは、満喫したってことなんだ。写真を見返したら「なんかすごく良さそなもの食べてる」。わーっ!と盛り上がって、一晩寝て、反動がどわーっと来てる。疲れ。痛み。なんだか、連続性がないような感覚。ある!あるよね!だけども、前を向いて歩くよ ネバーギブアップ!
・机さする の「たとえば鳥あるいは猫その中で見てるって思うのも自由」の意味が全然わかんなかったけど、なんかちょっと検索した感じ、鳥とか猫の視点で世界を見る想像のはなしなのかなと思った。
・罪って隠蔽だよなやっぱり、と思った。新約聖書でも知恵の実食べて葉っぱで股を隠した。罪を隠蔽し、隠蔽こそが罪だった。島民がひとり喰われた段階でヒトハフタバが自首してればそれ以上被害は出なかった。ちいかわはハチワレのことを思ったのもあったと思うんだけど、ハチワレの「何かあった?」に口をつぐんだ。それを罪というのは酷だけど、罪なんだ。隠すことは罪だから。そんな、人のために自分が口をつぐむことまで罪とか言われたらむかつくぜって思うかもしれないけど、誰が悪いって話じゃなくて、隠すことそれ自体が罪で、罪というのは、隠すことだから…。サスペンスは、誰かが何かを隠さなければ成立しない。ぜんぶ初手から相談したり自首したりしてたら、誰かのしでかした出来事が、罪として存続しない。たぶんちいかわは、ハチワレには、その場でなくても、秘密を、言った方がいいと…思うんだ!でも言わないことが、ちいかわのちいかわらしさなら、読者に言えることは、ないよ…。ううーんでもちいかわが言わない気持ちわかる…でもちいかわ、ちいかわがね、ハチワレに負わせたくないと思っている重荷を、ちいかわはもう負っちゃってるわけだから、そうなったらじゃあせめて、一緒に負ったほうがまだ…。いや、ちいかわはそんなことしないよ、友達には辛い思いをさせたくない、それが友情ってもんだろ…!いや、友達がつらい思いをしてるなら一緒に背負いたい、それだって友情だよ!言え、ちいかわ!だからさー、そこでうさぎがちいかわと同じものを負っているかどうかが、すごい大きな差なんだよな!そこがあったら全然違うんだ!同じ苦しみを分かち合える仲間がいるだけで、コルチゾールの出が全然違うんだからねッ!隠蔽といえば島民が嘘の報酬で討伐に来てもらおうとしたのも、本当のことを言えば誰にも来てもらえないと思ったからで、それくらいのことは大した罪でもないような感じがするが、隠蔽は、罪なのだ…。罪というのは、隠蔽だから…。いやーでも実際、別に馬鹿正直に本当のことを書いて助けてください〜しても、無理かー。誰も来んかあ。ラッコ先生はどう思うんだろうなあ。ラッコ先生は深刻なエラー吐きそうだから物語の都合上その情報に触れえないかも。隠し事って罪だ。でも友達のためを思って隠し事をすることもあるなぁ。人のための隠し事ってたくさんある。でもやっぱ理想を言えば隠し事ってないほうがいい。隠し事ってしなくて済むならそのほうがいい。島民たちの絆がもっと、もっと深かったら、人魚食べちゃったんだよぉ…って告白しやすかったかもって思う。だけどそんな特異的な絆でもない限り、どうしたって突き出されて終わり。内と外…。ヒトハとフタバが特別仲良しだったことも、悲しみの一因だった。友情が罪の一因だなんて悲しいけど。内と外がある。どうしても。博愛♡誰とも同じだけ仲良し♡ということはありえない。誰かより誰かのほうが大切だ。二つしかない目、二つしかない手、半径260cmがこの手の届く距離(ど名曲「ダブルラリアット」の歌詞)、だから、会う人会う人全員が人名図鑑に登録されるわけじゃない。全員が自分にとってのネームドキャラクターになるわけじゃない。誰かはモブになる。順序はつく。ヒトハとフタバは、特別仲良しだった。他の島民の死にも、互いの死と同等の重みがあったならば、隠蔽を続けることはできなかったはずだよ。ああ、そもそも人魚を殺せなかったか。人魚の命よりずっと、フタバの命がほうが重かったから、ヒトハはわざわざ罪を犯したんだし。
 ちいかわがハチワレに対して口をつぐんだこと、偉いとか、すごいとか言われてて、たしかにちいかわのその…なんだろう、慎重さは、美徳…といえるっちゃいえるけど、そんな美徳はやめましょうよ!!と言いたい!素直に洗いざらい共有すんだよ!!その方がね、いいと思うんだ!!と、今現在の私は思っております…また、年齢を重ねたら考えが変わるかもしれないし、人の話を聞いたり自分で何かそんな感じの体験をすれば考えが変わるかもしれせんが…。
・永遠、って怖いよ。永遠ってそもそもすごく怖いから、そのテーマをど直球で扱っているこの映画ちいかわを、永遠とか、あとは普通に死もか、そういうのをとくべつ怖がるような精神の段階にある未就学児〜小学生の子どもに見せるのは、酷だな〜ッ!!!やめたほうがいいんじゃない!?マジで!!と、思った……けど、いや、逆に、逆にだ、永遠とか死をひとりで怖がるよりはずっと、みんな(しかもそのみんなって、めちゃくちゃ数が多い。大ヒットかましてるから)で怖がるほうが、まだ、マシかも。だってどうせ考えるならみんなで考えられるほうがいい。他にも同じように恐れている人がいるんだとわかったほうがコルチゾール少なめで済む。ああでも、どんなに自分が永遠とか死を恐れているかを、親だったり身近な大人だったりがあんまりわかってくれなくて余計苦しむ、とかもありそう。大丈夫よ!怖がっている大人は、たくさんいるからね…私も怖いです!私も永遠が、正確には「永遠に苦しみが続くとされる『地獄』」が、怖くて、怖くて、ひとりで泣いたんだ…小学2年生か3年生のときに……いませっかくちいかわ映画こんなに流行ってるからね、みーんなで怖がろうね、永遠を、死を…。どうして、良いもののはずの友情が、すべてを壊す罪を生むのかを…。できるだけ「安全に」怖がれるように、心に安らぎがあるように願うよ…。だから、ワクチンみたいな感じ!ちいかわ映画はたしかに怖くてチックリ痛く、涙も出るけど、致命ではない。いつか「永遠」を思う恐怖が致命的なものにならないように、免疫をつけてくれてる…。いや、でも、怖いよ!!!くらーいくらーい水の底、せまーい檻で、なーんにもできない、だーれもいないとこで、ずーっとふたりきりで暗いとこ…は怖いって!!死よりも怖いものがあるってそんな、未就学児とかにはまだ、早くない!?いや、早いとかは、ないか…性教育だって早め早めが肝心だもんな…でも…可哀想だな、この恐怖にさらされる、こども…でもさ、でも、あるもんね、死ぬよりも怖いこと、いっぱいある。拷問とかもそうだし…そういう、恐怖を、人はたいてい、意識しないでいられるから生きていられる。意識しないでいられるから子どもを産んで、人類を存続させていける。でもたまに精神の調子が狂ったりして、どうしても恐怖を意識から締め出せなくなって、それが続くと狂ったり死んだらするんだと思う。恐怖はたしかに在る、意識しないで生きることもできるけど、「無い」ことにはならないから、たまには恐怖に触れて、せめて、自分は自分なりに自分の喜びを噛み締める、というのも、一定、意味はある。友達と美味しいものを食べて、励まし合って、一緒に歌を歌って、っていう、そういう喜びを、噛み締めて味わうんだ。サスペンスとかホラーとかってそういう効能?がある、よね。
・生き物をとって殺して食うことの恐ろしさ、にも触れてるんだ。食材は、生きものを殺してできてる。でも美味しい。美味しく食べて生きていく。みんなそれをふつうにやってる。感謝して食べればチャラってマジ?まあそういうことにするしかないけどね、現状…いいのかい!?こんな根源的な恐怖をお子さんに…いいんだ…いつかは知る。いつか知るならみんなで知ろうや。それで月1でもヴィーガンデーを設けますみたいな人間が出てくるとSDGSには資するだろう…。あとこれでくらうのって〜小学生というよりは、多感になって自己否定感が増す思春期〜20代とかかも。大丈夫かな。
・美しい解釈を見た。感動した…。
https://x.com/noichigo_1015/status/2095098109781291119?s=46
Xの投稿って消えちゃったりするから、全文引用させてもらう…。野いちご@noichigo_1015 さんの、2026/09/02の一連のポスト。

以下引用

ちいかわ映画の最後のシーンの父の考察が面白くて聴いて欲しい
父は最後セイレーンの追いかけるのが復讐じゃなくて「もういいよ」って言いに行く為にって解釈してる
その訳がセイレーンがフタバを瀕死に追いやったところで「何か当たった?」って言っててその感触を覚えてて、討伐の時にちいかわを

庇ったフタバをぶつけた感触が同じで「あ、あの時当たったのだ」って感じた。それに加えて単三を見て「私があの時やったんだ」ってのを理解。
それでハチワレがやめてって言ったのも含め
犯人が「分かった」
襲わないのも「分かった」
人魚が食べられた理由も「分かった」

だからヒトフタのところに行って「もういいよ」って言いに行くって解釈でなるほどなってなった

以上引用
→ほんっと素晴らしい…。ヒトハフタバ、罰確じゃなかったんや…! この解釈は、私は1mmも思いつかなかった。すごい。通る。通るよこれ。私もマイ正史はこれにします。ありがとうございます、素晴らしい解釈を聞かせてくださって。なーーるほど…うわぁ…ありえたんだ、救済…(ハチワレ構文)。

・シーサーの声かわいっ。
・くりまんじゅうの声、かわいくないっ。
19:00
 夜ごはんは夫が作ってくれた生姜焼きを食べ味噌汁を飲んだ。お風呂に入った後は、赤ちゃんを寝かせつつカルピスを飲みまくりながら延々とこのブログを書いて、今0:23。時間が経つのが早いっ!
2:40
 ひいっ。ゲド戦記ライクな一次創作の設定を書き増ししてたらこんな時間に…。カルピスゼリーをいくつか食べた。甘いねえ。いやー楽しいなー設定をいろいろ考えるのは。いーっぱい考えたと思ってもまだ埋まっていないピースがどーんとある。うーむ…。終わらん…。