私は戒名が好きだ。夫の祖父が亡くなったとき、その生き様から戒名をつけていて、それがすごく興味深かったから。人の名前って最初につけるけど、戒名は最後につける。生き様が名前に反映される。それが値段によって変わるなんて、変だ。笑っちゃう。お金を払えば立派な戒名がつくなんて。免罪符みたいだ。それで思った。免罪符って、当時はそんなに悪いことじゃなかったんだろうな。お布施したことの証明書、信仰の証明書、みたいな感じで。現代から見れば愚かに見えるけど、その当時の人々は、別に、「免罪符があれば罪を贖える。じゃあ、これくらいの罪なら犯してもいっか!」とは、思ってなかったんじゃないかな。他の人も買ってるから…とか。また新しい献金か…まあ、教会にはお世話になってるし、なんだか今回の献金はご利益もあるらしいし、するか…みたいな。あー…すみません!戒名のこと、ディスってます。でもみんなも変だと思うよね!?戒名!お金を払えば立派な名前がつくなんて…。変だよね!?がめつい…って感じますよね!?「でも、まあ、ゆーて、寺があって、お葬式とか供養とかを引き受けてくれて、ありがたい説法もしてくれて、遺族のために祈ってもくれるから、まあ、お布施よね…感謝の度合いとか、自分らの懐具合に応じて、多く納めるか少なく納めるかの違いよね…別に、それによって供養に何か違いが出たり、成仏が早まったりっていうんじゃなくて…でもまあ戒名なしっていうのも、お寺を困らせちゃうし、まあスタンダードに、松竹梅の竹くらいでお願いしまーす…」って、おおらかな気持ちで受け入れてる、んですよね?たぶん免罪符もそうだったんじゃないかなって。まさかそこをルターがめちゃくちゃ攻撃してきてキリスト教史最大の分派につながり、信徒をごっそり持っていかれるとは、思わなかったんじゃない!?当時の人たちは!でも新約聖書にはぬるい信仰やめてねほんまにみたいな言葉があるので、確信にもとづいていないことは罪なのですなんだろうな…。ううー。