kの日記

人生の感想など

2024年06月26日水曜日 アンナチュラル2話面白い!

 9時起き!9時間52分寝たってよ。あーー!明け方冷房が切タイマーで切れちゃうから暑くて眠りが浅くなるせいで起きれないのかなと思って起きるその瞬間までクーラーをつけっぱなしにしてみたけど、起きれねー!こんなに寝てても日中眠いし。あー!ままならないねえ!やっぱり9時にお風呂に入ってそのあとは電子機器をさわらない、を徹底するしかないのかあ。うー、ねっむ。
 朝ごはんはオートミール30g、水と牛乳2:1でレンチンして昆布茶と塩昆布をかけたもの。塩昆布入れ過ぎて過剰にしょっぱかった。あー。もうバイトに向かわねばな…。でも超絶楽ちん業務だからそれは救い…。お昼用のナッシュをおでかけバッグにつめてと…。
 はてなブログに感謝の課金、すべきかどうか悩みますね。ダイアリー時代からお世話になってるし。あーーなるほど1か月1008円。なるほど。お金ないしな……やめとこうかな……機能には大満足だし…いや大満足だからこそ感謝の課金をするかという気になったわけですが…なるほど、月1008円。2年で割引が効いて14400円。うーん。うーーん。うーーーん。でもはてなブログの経営ってそんなに切羽詰まってないよね……?あー、なるほど。株式会社はてなの決算説明資料(←カラフルでとっても好印象だった)をちらっと見た感じ、はてなブログとかの「コンテンツプラットフォーム事業」は広告収入が予想以下で、不調っちゃ不調。だが、長年培ったシステム・ノウハウ・技術力を武器としマンガ・ゲーム業界とも協同、全体的な売上は堅調な足取りで伸びている。ああ、でも、広告収入はいまいちだったけど、はてなの「ユーザー登録数」は年々増えて1230万人らしい。1230万人?!えっそんなに!?海外のユーザーってあんまりいないと思うので、じゃあ、日本人の10人に1人ははてなのアカウント持ってるってこと?!ああ、でもその全員がブログ書いてるわけじゃないか。はてブ見る専とか、スター押す専とかいるかもしれないし。え?!ほんと?!アカウントを複数持っている人も数に含まれてる感じか?わかんね!
 最近、「これ米津玄師のviviの「さよならだけが 僕らの愛だ」じゃん!」と思う作品がなんかあったんだけど忘れた。なんだっけ。
 紅茶好きじゃないけど砂糖たっぷり入れたミルクティーは好き。違うな。砂糖たっぷり入れたミルクが好きなんだ、たぶん紅茶はわりと、紅茶じゃなくて別にいい。砂糖たっぷり入れたブルーベリー牛乳が好きだし、砂糖たっぷり入れたバナナジュースが好きだし、あんまいコーヒー牛乳が好きだし、イチゴミルクも好きだ。砂糖たっぷり入れた牛乳ってなんであんなにおいしいんだろう。たぶん完全なんだと思う、栄養が。知らんけど。
 昔、知り合いが、お風呂のお湯張りしてたの忘れて盛大にお湯を溢れさせちゃってがっかりしたって話をしていて、私はその話を聞いてすごく嬉しかったんですけど、オモコロチャンネルの嘘ナイトルーティンで恐山さんがお風呂のお湯を溢れさせていて、私はやっぱりそれがすごく嬉しくて、なんか、こう、人のうっかり話を聞くことで癒される心の部分ってあるなって、特にお風呂のお湯が溢れる話に私はなぜか癒されるなって、思って、これって絶対短歌にできる、と思ったんですけど、57577に形成できん……言いたいのは「あなたがお風呂から溢れさせたお湯が私の心を満たしました」みたいなことなんですけど……うーーーーむ。自分が湯を溢れさせても別に癒されないんで、他人が溢れさせてくれる必要があって、これっていうのはつまり私の、反エコ精神というか、エコって窮屈かもって感じてしまう自分を肯定したい、無駄に流れたように見えるお湯が私の心を癒したように無駄に見えるものが無駄だとは限らないよねむしろ無駄とか決めつけるのが無駄なんじゃないとかうがったこと言いたい、という欲望も含まれていて、お風呂からお湯が溢れてしまうっていうのは純粋にもったいないことで、「あーー」ってなりがちなんだけど、そのうっかりが、私に与えた感覚は、安堵であり、おかしみであり、愛おしさのようなあったかいものであった、ということを、お湯のあったかさと掛けれたらおしゃれじゃん、と思うのですが……自由律俳句でいいか!「他人がお風呂から溢れさせたお湯が私の心を温める夜もある」うーん?あ、57577にできるわ「知り合いが風呂から溢れさせた湯が 私の心を温める夜」ちょっと字余りだけど!「湯が」ってちょっと変。「知り合いが風呂から溢れさせし湯が わが心をば温める夜」おっ、わが心をばが温める夜につながるか不明。どっちかというと「温めし夜」か。どっちかというと「知り合いの」か。あれじゃない?短歌あるある、「われ」を使えば字余りを解消できる。「知り合いの風呂から溢れさせし湯がわれの心を温める夜」われの心を温める、だわ。われの心を温めし夜、は変だ。OK。これで。読んでも意味たぶんわかんないけど、いいやね。ああでも溢れた湯で見たしたかったな心を、温めるんじゃなくて。でも温めるも意味通るからなあ。温めつつ満たしたかった、できれば。あとこれだと知り合い限定になっちゃう。他人。他人でいいんだけど。でも他人だと他人が風呂溢れさせたのを嘲笑してる感じになっちゃうか?知り合いのほうがいとおしむようなニュアンスが……いや知り合いと他人でそう違わんか。「知り合いの」って変か。シンプルに「知り合いが」がいいか。変で言ったら私べつに「われの」とか古語使うの全然好きじゃないし使わなくていいか。「知り合いが風呂から溢れさせた湯が 私の心を温める夜」…「を」を抜いて…いや抜かなくていいか。
 これまえも書いたかもだけど、九月さんのマシュマロに寄せられてた「なんかコミュニケーションが思ってたのと違う返ってきかたしてくる奴」で挙げられてた例がめっちゃ私で、「このコミュニケーションって間違ってたんかー!!」って衝撃で、今もちょっと引きずってる。


 これこれこれ。「今日の夕飯はハンバーグなんですよ~」って言われたら「そうなんですねえ!ハンバーグおいしいですよねえ!私今日のお昼ハンバーグでした♪」って、返すよ、私は。そういうグルーミングがしたくて私に話かけてきてるんじゃなかったのかよ、人類!?私はハンバーグが好きなのよぉ、あなたもハンバーグが好きなのねぇ、おんなじね私たち、うふふふふ、ってお互いの共通点を確認し合って安心する、そういうグルーミングをさあ!求められてるんだと思ってました!違うんですか!?そういうグルーミングは、お好みでない……??!私これ本当に、ショックだった。ていうか、怒ったよね……。なに?!じゃあなんて返してほしいわけ!?わかんないよ!わっかんねー球ぁ投げといてこっちがわかんないなりに頑張って打ち返したらよぉ、「なんかちがうんだよな~(苦笑(汗」って、おま、おまえなーーー!!って、架空の憎たらしい人間を思い浮かべてしまい、怒りましたね……。でもね、学習しました。私の話なんか興味ないんですね。「今日の夕飯はハンバーグなんだ」って言われたら「そうなんだ。ハンバーグいいね」って返すのがいちばんなんだ。もし余力があれば「ハンバーグ好きなの?」くらい聞いてもいいかもしれないな。いや、わからないよ、べつに好きじゃないかも。聞くだけ無駄かも。「そうなんだ。いいね」これです。これ。実際やってみたんですが、いい感じです。これでよかったんだコミュニケーションって。でもつまんねええーーーーくないですかこれ。私の話も聞けよって思っちゃう。私は!ハンバーグ!今日の!昼に!食べたんだよ!!お前がしゃべったんなら私にも喋らせろと思うのはそんなに間違ってますか!?間違ってるんですね……知らなかった……そう、私は気づいた、私って、私が話題に連想ゲームで乗っかって好き勝手喋る(←それを話題を「奪う」って、言うんですか!?)のを喜んで聞いてくれるような人としか付き合ってこなかったかもしれない。でも相手だってそこから連想ゲームで話題繋げて私に喋るから、別に、一方的に奪ってるわけじゃないし、そう、奪われたら、奪い返せばよくない?!そうやって連想ゲーム続けていくのは、楽しいよ……。でもそう、別に連想ゲーム繋げたいわけではない人に「今日の夕飯はハンバーグなんだ」って言われたら「そうなんですね~!私今日の昼ハンバーグでした」って返さなくていい、ってわかったのは収穫でした。だって私、ぜんぜん、かみ合ってないとかみじんも思ってなくて、むしろサービス精神だったんですよ、話題に乗ってあげてさあ。相手と自分の共通点を提示して、相手に敵意ないですよ~仲良くしましょ~って歩み寄ってるつもりだったんですもん。でもそんなのはただの、なに?自己満足、おごり高ぶり、思い込み、自分勝手なおせっかい、ピントのズレたサービス精神、的外れ、そう!的外れなサービス精神だったのだ。なんも考えずに「そうなんだ、ハンバーグいいですね」って返すのがいちばんよかったんだ。でもね、「そうなんだ、ハンバーグいいですね」って言ってあげ続けるのもしんどかったら「へえ~」でいいんだきっと。聞いてあげればいいんだ。きのきいた返事なんかはなから期待してないんだ。聞いてもらった、受け入れてもらった、という感触さえあればいいんだ。別に私のこと知りたいわけじゃないんだ。聞いてほしかっただけ。聞いてあげるのがいちばんのコミュニケーションなんですねえ。なんかそれ子どもとのかかわり方の話みたいだな。受容。共感。肯定。「へえ」でいいかもう。全部「へえ」でいいか。「ハンバーグいいですね」とか「ハンバーグおいしいですよね」とかいうのもめんどくさいしな。いやさすがに「へえ」だけじゃ印象悪いか……。「そうなんですねえ」これかもしれない。対面なら。LINEとかだとちょっと、どうだろう、「そうなんですね」は、かたいか?でもいいか。「いいね」といちいち言ってあげるのも疲れるし……。いや、でもわからない、冷静になって考えてみると、マロ主さんも、「へえそうなんだ!いいですね♪」っていう枕詞さえあったならば「私今日のお昼ハンバーグでした」って続いたとしても、ぜんぜん、べつに、よかったんじゃないか?キャッチボール成立してますもんね。いったん相手が「いいね」のミットに言葉を入れてくれたんだから、相手が「今日昼ハンバーグでした」って投げ返してきたボールもこっちの「いいね」のミットに入れてあげられる。ノータイムで「あ、自分、今日の昼ハンバーグでしたね」って返ってきたから、「は?なんだこいつ。んなこと聞いてねえし。『そうなんですね』くらい言えや」ってなったのであって。待って、そもそもハンバーグは例でしかなくて普段交わされるのはハンバーグの話じゃないわけだから、ハンバーグの例で考えすぎてもおかしいのか?でも今回のことは本当に、勉強になった。自分のコミュニケーションを見直すきっかけになた。「そうなんですね」って優しく言ってあげる。これがいちばんいい。自分の話は家族とか仲のいい友達とか、親しい人にするもので、職場の雑談とかでは全部「そうなんですね(二コリ)」でよかったんだ。だって私に興味ない人たちに私のこと教えてあげたってそれはなんのサービスにもならないどころか、こうやって溝をうむんだ。いやでも、そうか、親しい人の話を聞くときも、自分の話しないほうがいいのか。話しかけられたときは受容と肯定に努め、自分の話したいときは自分から話しかけてやるべきなのか。そうかもな。
 頼まれてからやったほうがいいことってけっこうある。勝手に気を利かせたつもりのおせっかいがものすごい溝をうむことが多々ある。頼まれてから動いた方が何かとうまくいく。そういう認識でいる。
 救急車の音のうるささにクレームが入った話がTwitterで炎上してる!救急車の音は確かにうるさいが必要があってあの音なので、改善すべきは、家の防音性能ですね……それが金銭的な理由やら家族の反対やらで叶わない方が多いのでしょう。防音性能の高い家に住めたならば救急車の音への感想も少しは違ったでしょうに…ああでも「私は作り上げた素晴らしいお庭で陽光を浴びながら椅子に座ってのんびりするのが生きがいなんです」ってタイプの人には当てはまらないか…庭の防音性能は上げようがないもんな…。うーん。
 へーいま豚肉高いんだ。豚バラ食べたいな〜。豚肩ロースも食べたい。
 昼にナッシュの肉吸いごはんに白米を追加して食べた。大阪で食べた肉吸いとは違っていたが美味しかった。
 機能注射打ったおしりがちょっと痛い。ほとんど痛くないけど歩くとちょっと違和感を感じる。治りかけのあざくらいの痛さ。
 子宮頸がんの検診って適当に近場の婦人科を予約すればいいんだっけか…
 右の人差し指と中指、痛いのだんだんマシになってきている。まだたまに疼く。このまま治って欲しい。
 昨日よりマシだけど今日もなんか元気なくて何も楽しみじゃないな。何もやりたいことがない。
 帰りに赤信号で止まった隙におさかなソーセージを食べた。とてもいい栄養補給になった。
 帰ってきて顔を洗った。気持ちよかった。
 夫にブックスタンドが届いた。レイメイのブックスタンドナチュラルってやつ。使いやすいといいな。見た目はかわいい。ものすごく軽い。
 夜ご飯にナッシュのもちもち水餃子と白米を食べた。食べ過ぎた。うう。
 アンナチュラル2話みた!すげ!おもしろすぎ!石原さとみ可愛すぎ!東海林さん可愛すぎ!ぎゃーーーぎゃわいいいい。
 いまTwitterで電車がら空きなのに女の隣に座る男の話題が盛ん。トナラーっていうんだって。それを見て新幹線で高齢の男性にセクハラされたときのこと思い出してムカついた。どういうセクハラだったかというと、その人はお酒を飲んでて、それで気が大きくなったのか知らないけど急に話しかけてきて、最初は当たり障りない話をしてたけど、突然「女性は乳がんが心配ですよね」みたいなことを言い始めて、胸がなんとかとかしつこく言ってきて、そこでやっと「あーこれセクハラかぁ!」って気づいた。けどそのときは、この人、家族と仲が悪くて誰にも相手してもらえないのかもしれないな、かわいそうだな、丁重に扱ってあげようかな……という気持ちが強くて、怒りはなかったけど、やだなあ〜とはすごく思った。だけど、あれ何年前だ?7年前くらいかな?だけどいまだに赦せてないもんな。今頃怒りがわくよ。あーでも、彼が私を無料の接待要員として扱ったことは許せないことではあるれども赦さないのは「私にとって」良くないことだからな…。ゆるしますゆるします。わたしはゆるせないけどイエス様のお名前によってゆるします。はい宣言した。OK。ゆるしって神頼み案件だ。ゆるせないもん、普通にさぁ。でもゆるすよ。みんな違ってみんな悪いからね。いつも思うんだけど主の祈りの「我らに罪をおかす者を 我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」って変じゃない?逆じゃない?「主が我らの罪を赦すがごとく、我らに、我らに罪を犯すものを赦さしめ給え」のほうが自然じゃない?私はそう思う。それにしても、年に何回かしか新幹線に乗らない私がセクハラされるんだから、新幹線にしょっちゅう乗る人は大変だろうなあ。
 明日は読み聞かせボランティアがあるから寝坊できない。やだなあ。最近ずっと寝坊しているので。今日は9時になったらお風呂をわかして、お風呂から出たらそれ以降はもう電子機器を触らないことにする。それで寝つきがだいぶ改善できるのではないかと思う。私がフルタイム労働ができない理由のひとつが、朝起きなきゃいけないのが本当にしんどいから、です。ほかにも理由があって、私はすぐに体調を崩すし、体調が悪いときは本当に働きたくないから、です。しかも休養を人より長めにとらないと復調しないので、ずっと体調が悪いまま働くことになり、それは嫌。まあそういう、ずっと体調が悪いけど致し方なく働いている人が世の中には大勢いるんだとは思いますが、私は運よく稼ぎのいい夫と結婚し子どももおらずお金をせびってくる親などもおらず金のかかる趣味もないため、労働圧(人を労働へと追い込む圧力)がひく~い、ので、週20時間労働で自分が遊ぶための金すべてをまかなえている。が、たった週20時間の超絶楽ちん事務作業でもだめでした。免疫が落ちてしまい、右の手が痛い痛いになりました。機嫌が悪いことが多く、夫に対する当たりが強く、家の掃除もできません。落ち込んでいます。労働によって社会に参画し、社会に認められたかった。週40時間くらいは働ける人間でありたかった。20時間でダウンする自分は嫌だよ。うー、弱さ!弱さ!?「弱さ」じゃん、「わたしは弱いときにこそ強いからです (第二コリント12:10-12」じゃん。あー!