Twitter本当に面白いけどTwitterばかり見てしまって時間を使いすぎているかもしれないと思ったので消した。というのは半分嘘で、Twitterを消したら偉いかもしれないと短絡的に思ったので消したのです。消す前にためにためたブックマークをスクショしまくった。Twitterまた始めようかな。どうしようかな。始めてもいいし始めなくてもいい。

 

そういえば今やってるワールドビジョンでの寄付をもう一人分始めようかなと思う。というのも最近、人が死を覚悟したときに「もうすぐ死ぬならよく生きてみたい」と思った、という話を聞いて、私も遅かれ早かれ死ぬならば人の役に立っておきたいという気持ちが膨れたのです。人にやさしくしてあげたり人のために自分の安楽や時間を犠牲にするのはちょっと勘弁してほしいけどお金には困ってないからねえ私は。お金を払うのはそんなに苦痛ではない。それで人が助かってたらいいと思う。それもこれも夫の稼ぎがいいから言えることではあるんですが。まあ。

 

最近はエヴァネッセントサーガというフリーゲームに熱中してる。超面白い。シナリオ全部見たるぞい!ちょっと敵の行動ルーチンがあほちんだけど全然OK。結構かなり誤字ってるけど全然OK。リンデバンガードがマジ詰んでるんだけどそれは一体どうすれば?!難易度下げるか…ハードだと速攻天使軍団にやられて無理だった。きーっ!自分が天使軍団をプレイしたときも「リンデバンガード脆すぎん??」って思ったけど実際自分がリンデバンガード側になるとつらいものがある。くー。なんだろうお金を保持しておいて出撃数を確保したうえで迎撃戦でなんとか退けつつレベルを上げて…みたいな感じでやったらイケるのか!?

 

自分のブログをたまに見返すと、うわー自分、生活して来たんだなあこれまで!と感慨に浸れるので楽しいが、自分の記録が残っているというのはどうもモゾモゾとした気持ちになるものでもあって、常にブログを消しちゃうか消しちゃわないかの葛藤に苛まれる。とりあえずもうすこし保持。保持保持。

 

なんか自分のブログを見返していると本当に私って自分の書いた文章が好きだ。私って本当に自分が好きだ。安心感があるのかもな。私は私を裏切ったりはしない(たぶん)と思えるし?

 

死ぬときに何も残したくないというような気持ちがある。でもそれってもしかしたら死ぬのが怖すぎてその恐怖感をなんとかするために編み出された防衛術的な考えなのかも?なんともわからんけど何も残したくないと思うことが多いです。だから捨てておきたい、いろいろと、生きてるうちに。本当に死ぬってなったら逆に残しておきたくなるのかな?だって死んだらもうわかんないしさ自分には。その残ったものがどうなるか。なら一縷の大いなる望みをかけて置いておいてもいいんじゃない。