2024年2月10日の日記 おいしいもの

 今日のお昼ご飯は、沖縄料理屋で青パパイヤのチャンプルーと白身魚の揚げ焼きを食べました。おいしかったです。チャンプルーはゴーヤチャンプルーの方が好きかもしれないと思いました。ゴーヤチャンプルーはたまごがフワフワしていて、それがゴーヤの苦みとあわさっておいしいと感じます。パパイヤチャンプルーにはたまごが入っていなかったです。パパイヤチャンプルーにはツナが入っていました。魚の旨味がありました。

 また、夜ご飯には、近所のパン屋さんのパンを食べました。マカダミアナッツの入った塩パンがとてもおいしかったです。

 今日は、『新・良妻賢母のすすめ』(ヘレン・アンデリン 日本語版1998)を久しぶりに読んで、「いつまでも今のままの怠惰な生活を続けたいけれど、それじゃあやっぱり駄目なのかな~?!」と考えていました。

 まず第一に夜更かしをやめて睡眠のリズムを一般的なものに合わせたほうがいいかなと思うのですが、寝たくない…。この、unlimited自由時間をだらだらと満喫したいです。しかしだらだらを満喫しても内面の幸福には至ることができないだろうとは思います。たしかに内面の幸福は得たいです。得たい、が…。面倒くさい……。頑張りたくない……。ニートを続けたい……。朝のゴミ出しもこのまま全部夫に任せておきたい……。ご飯は気が向いたときにしか作りたくない。掃除は気が向いたときにしかしたくない。バイトも気が向いたときにしかしたくない。日用品の買い物にも気が向いたときにしか行きたくない。運動するのも気が向いたときにしかしたくない。勉強も気が向いたときにしかしたくない(そして気が向くときが全く無い)。そのときにしたいゲームして、マンガを読んで、本を読んで、映像を見て、ネットサーフィンをして、暇をつぶしながら生きていきたいです。けど、まわりからの期待には応えないといけないよなあ、と思います。子どもを産んで育てたり……。そのためにはさすがに奮起しないとまずい、とは思います。ああでも、奮起したくないな……。子どもを産んで育てたりするの、前よりはだいぶ拒絶感もなくなって、「私にもやれるかも」と思うようにはなってきたのですが……。

 頑張ってみたことはあったけれど、燃え尽きてしまってつらかったので、頑張ることへの忌避感も、あるのかもしれないです。すぐ燃え尽きそう。燃え尽きるような頑張り方をしてしまうのやめたいですねえ。それっていったい、どうやるんだろう…。せめて、頑張らずに、でも怠惰でもない、「並」を、目指してみたほうがいいかな……。でもパフュームが真理を歌っているんです。「ねえ みんなが言う『普通』ってさ なんだかんだで実際はたぶん 真ん中じゃなく理想に近い だけど普通じゃまだ物足りないの」そう……普通ってしんどいんじゃないか? しんどいのは嫌です……でも、このまま怠惰な生活を続けても、それはそれでしんどいから、そのしんどさを終わらせるためには、勤勉さを身につけないといけないんでしょうか……。なんで勤勉でいられる人は燃え尽きずに勤勉性を維持できるんだろう? 『新・良妻賢母のすすめ』の妻のヘレン・アンデリンは8人も子どもがいたっていうんです。それでいながら『良妻賢母のすすめ』を書いて爆裂大ヒットさせて、もう、すごすぎる……。

 うーん、でも、私は仕事と教会奉仕を両方がんばって疲れ果てた、特に自分の生計を維持するための仕事が、私にはすごくきつかった、ということは、女性の本来の役割である家事などに邁進することでは、私は燃え尽きないかもしれない……!? そうなのかも……。そうだといいんですが……。がんばるか……。がんばったら自信もついて幸せを感じられそうだし……。