2024年3月25日月曜日 Suzukiさんのnoteを読んだり

 Suzukiさんのnote「就職できなかった」を読みました。

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 ボリュームがあってとても面白かったです。こんなに面白いコンテンツがあったのに気づかずに今日まで過ごしていたなんて!世の中にはまだまだ私に刺さるものがゴロゴロと転がっているのに、私はそれに気づくことができないばかりに日々を退屈に過ごしてしまっているのかもしれないなと思いました。他人の人生をコンテンツって言うのちょっとよくないのかな?って思ったけど、やっぱり他人の人生こそ最高のコンテンツだよなあと思います。だけどどうして私は他人の人生をコンテンツ呼ばわりすることに忌避感を覚えるんだろう?他人の人生は尊んだほうがよくて、コンテンツ呼びはそれを著しく妨げるから、でしょうか。他人の人生をコンテンツとして尊ぶことは、他人の人生を尊んでいることにはならないからでしょうか。他人の人生をコンテンツ化するといえばねほりんぱほりん(テレビを視聴する習慣がないので私は見たことないのですが、)なんかもそうだと思うんですけど、あれってたぶんすごく面白いし、たぶんすごくためになるし、いい番組なんだろうなと思っていて、というか、考えてみるとテレビ番組って他人の人生をコンテンツ化しまくってるし、「他人の人生をコンテンツ化するのはいかがなものか」という懸念は私の杞憂に過ぎなくて、誰も彼も他人の人生をコンテンツ化して楽しみながら生きているのかな。田舎に引っ越すと近隣住民の間で瞬く間にうわさが広がって個人情報を全部把握されるとかもそれなんでしょうか。

 田舎の「隣人に個人情報が何もかも筒抜けになる」は嫌なことだけど、「ネット上で自分から自分の人生を曝け出して不特定多数に見てもらう」のはエモいこととして認識されているのって、なんだか正反対で面白いなと思いました。主体性の問題なんでしょうか?電子の砂漠(←この表現、本当にかっこいいです)で自分の発した情報が他人に選び取られるのは嬉しいけど、隣合っただけの他人にただ隣り合ったという偶然を理由に勝手に個人情報を抜かれるのは怖いしキモすぎる、っていう。

 Suzukiさんのnote、本当に面白かったです。自分のことが大好きだけど大嫌いみたいな感じ、共感するなあと思いました(本当に本人がそう思っているかはわからないけど私がこの文章を読むとそういう感想になる)。人生で向き合いたくない嫌なことがいっぱいあって、それから逃げるために没頭した勉強で「他の人よりも優れてますね」って評価されちゃって、大学進学はしてモラトリアムを「助かった~」と謳歌したはいいけどその経歴が「他の人たちみたいに頑張れない」自分にとっては足かせみたいに感じられる、というのが、私にもある~、と思いました。森絵都の「ゴールド・フィッシュ」にも嫌なことに向き合うことを避けるために勉強に没頭するという描写があってすごく感動したのを思い出しました。

  社会的に優れたアドバンテッジ(テージ?)をたくさん持ってるのにそれでも生きていくのがつらくて頑張れないというのはつらいものだよなあと分かりみ千万でした。「もったいないよ~」ってごく稀にですけど私も言われます、友達に会ったりすると。でもそれって友達にとっては本当に、親愛の表現なんだなってわかるので全然嫌ではないし、「もったいない」とか言われてるうちが華なのかもみたいな感想も抱くんですけど、でも頑張れねえや。頑張れない。すごいですよね、みんな本当に。毎日8時間働いて時には残業してたくさん納税して、子ども産んで家建ててローン返して親戚と付き合って。本当に心からすごいと思います。

 n番煎じ(←この表現好きです)の感想だけど、20代の人生を頑張れない問題って、性差が効いてくるなあと思いました。女はパート仕事でも「まあね」みたいな感じでわりと許される。だけど女は結婚して子ども産もうぜ!時間が経つにつれて産みたくても産めなくなるぜ!圧がかかりますのでね、それはそれでキツいんですけれども。でも男の人の仕事で身を立てろ的な圧ってつらいんだろうな。パート仕事でも全然問題ないはずなのに。ああでも単純にお給料が少ないのはつらいですねえ。お金はあったほうがいい。

 でもこんなに可愛げのある、しかも文章まで書いている(すごい!)、絵まで描ける(すごい!!)、人ならどうにでもなりそう、とも思ったけど可愛げなり文章なり絵なりを生業にまで昇華するのはそれはそれで大変なのか……でもnoteで自分に課金できるようにしてて素晴らしいと思いました。課金したい人はいっぱいいるはずなので。noteのすごいところはダイレクトに課金ができるところですよね。はてなブログにはたぶんそういう仕組みがない(知らないだけかもしれないけど)からなあ。

 kentz1さんはいわゆるヒモになって生活費の問題を解決したっぽいけど、これって本当にすごいと思います。すごい。オンリーワンの星みたい。ああ、人間ってみんなオンリーワンの星なんでしたっけ、スマップもそんなことを言ってました。だけど改めて考えるとネットの情報に絶対なんてないから全部嘘の可能性もあるんですかね!?それは考えたことがなかったです。kentz1さんは、できるかぎり本当のことを書いていると思っていた。今彼のnoteを読んだら「嘘をつかない生活に憧れていた。」って書いてあったし……そうでありますように!本当のことが読みたいです、もちろん嘘だって面白いものは面白いけど。文章は、それが本当だということに意味がある場合だって多いじゃないですか。kentz1さんのnoteも初めて存在に気づいて読んでるんですけど素晴らしいです。面白い……やっぱり「頭が良くて文章を書いていて哲学とかが好きで自分って人生に向いてないなと思ってる人」の書く文章が私は本当に好きです。

 大学生のとき自分は自律神経が狂って死ぬかと思ったんですけど、最近は本当にだいぶ良くなってきていて嬉しいです。大学生のときはBUMP OF CHICKENのカルマの歌詞「心臓が始まったとき嫌でも人は場所を取る 奪われないように守り続けてる」と「存在が続く限り仕方ないから場所を取る 一つ分の陽だまりに二つはちょっと入れない」が刺さって刺さって、私なんかが陽だまりを一つ占有してしまうだけの就職活動とか無理すぎる、と思っていました。そういう感覚がある人ってほかにも結構いるんだろうなと今では思います。あ、もちろんBUMP OF CHICKENが言ってるのは、その先にそれでも「汚れた手と手で触り合って 形が解る」という救いがあるんだっていう話なんですけど!いやあカルマって本当に神曲(かみきょく)ですね。今歌詞を読んでて泣いちゃいました。エモすぎる。きっと幾千の二次創作のテーマソングになったんだろうな。「汚れた手と手で触り合って 形が解る」……。

 死んだおばあちゃんの手帳を読んだらいろんなことが書いてあって、それは大抵起きた出来事でそのときの感情とかおばあちゃんの考えとかはほとんど書いてなかったんですけど、おもしろかったです。死んじゃっている人の日記を読むのってこんな感じなんだ、と新鮮でした。

 他人の不幸って私の物語を補強する分には蜜の味だなと思いました。でもたまに全人類が本当に幸せに過ごしていてほしいとも思う。それはそう。

 匿名Mの感想追記。人間の振りしてるただの音楽ソフトにしては人間臭すぎるMさんと、人間のはずなのに人間味のないその場しのぎの「適切な」受け答えを機械的に繰り出すインタビュアーARuFaさんが対比されてるんだなという感じがしてすごくいいなと思いました。インタビュー中の「食らってます?」の意味がわからない→調べたら他の人もわかんないっていってて、それへの返答で「ダメージ食らってます?=何気に気にしてます?」みたいな意味だとわかって納得しました。

 どうせ死ぬ人生なのに恥じらいが邪魔をしてきて困っています。どうせ死ぬ人生なのに人の評価を気にして「見て見て!」できないのです、なんて無駄な抵抗……。

 kentz1さんのnoteエモいです。

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存在したくないけれど存在するしかないように、やりたくないけれどやるしか方法がない。

 ここの部分が刺さってびやっと唾液が出ました。唾液が出るのってどういう機序なんでしょう。アドレナリン?たぶんアドレナリンですよね。でもなんで唾液?おいしい食べものを見つけた時と同じ刺激ってことなんでしょうか?

 自分の人生から目を逸らしたいような気もするけど逸らすような人生もなかったのかも?あるいは目を逸らしている人生だって私の人生だったのかもしれません。

 いつ飽きるかわかったもんじゃないから推しのグッズとか買うの嫌だな~と思っていたのですが、それっていつ死ぬかわからないから生きるの嫌だな~って言ってるのと同じことなのかもと思いました。いやまあ違うけれども、でも今推しを推しているのは事実なのだから、飽きるとか考えないで買えよと。でも物が増えるのが嫌だっていうのも大きいのです。本当か?本当に私は物が増えるのが嫌なのか?それもよくわからないです。わからない。ただ、物がない部屋にいると気分がいいのは確かです。だけど、物がないことを楽しんでいる自分というのが健全かというと、そうでもない気がする。もっとコレクションみたいなものを持っていたほうが健全なんじゃないかという気がする。健全なほうが何かといい気がするのです。結局のところ。あと、普通にお金がないので預金が尽きそうで買えないというのもあります。本当か?毎日元気にニートしてるんだからタイミーでもなんでもしてお金を稼げばいいのではないか?欲しいものなんて滅多にないんだから買えばいいんじゃないか?それを結局は処分してしまうとしても……。私はもともとそんなに収集癖が無いほうだと思うんですけど、それでも小さい鉱石とかスピッツのCDとかライブDVDとか、ああ!あとペンギンズの同人誌もあった!捨ててしまったというのか、もう二度と手に入らないかもしれない同人誌を……思い出せないな、本当にそれだけしか持ってなかったのか……?……まあそういう自分だけのコレクションみたいなものを持ってたんですけど、すごく死にたかったときに身代わり的な感じで捨ててしまったので、今思い出せる限りでは趣味のコレクションといえるものがないんです。あ、でも、最近大きい家に引っ越したので、本に関しては買っちゃおうということになって、田中智さんのミニチュアの本を三冊買ったり、ちょうど売り出してた感動系エッセイ漫画の「たまに取り出せる褒め」を買ったりして、「自分の本」がちょっと増えたんですけど(それ以外に、夫と共有ではなく明確に私の本といえるのは「良妻賢母のすすめ」と「無理しないほうが愛される」くらいで、あと「銀河ヒッチハイク・ガイド」(最高に面白い小説)を持っていたはずなんですけど、どこにも無いので情緒が狂ったときに捨ててしまったっぽいです……。それと最近お義母さんにいただいた小説やら自伝やらが三冊あります)、それ以外にも物のコレクションをちょっと増やしてみちゃおうかなと……全然、気持ち的には思わないけど……でも、そこをあえて増やしてみたほうが、健全なのではないかと思い、挑戦してみたく思っています。うーん、でも生来収集癖がないのであれば無理に収集しなくてもいいんでしょうか?わからない。電子砂漠の砂収集を趣味にしたらいいのかもしれないです。それなら好きだし日常的にいっぱいやってます。集めてちゃんとコレクションとして仕上げたら楽しそうです。

 老人の孤独が堪えます。老人の孤独が本当に苦手です。ホームレスが本当に苦手なんですけど、それってなぜかというと、ホームレスってだいたい老人だからだと思います。

 今日も推しが可愛かった……推しを日常的にイマジナリーフレンド召喚せねばならないと強く思いました。今日は久しぶりに他者との交流が重なったのでやや精神が不安定になってしまったのですが、そんなときにも推しをイマジナリーフレンドとして脳内召喚していたならば揺らがず立っていられたろうにと後悔しています。持つべきものは可愛い推しのイマジナリーフレンド。

 今週はポケモンスリープのライコウリサーチがあるので4時になる前に寝ようと思います。