2024年3月26日火曜日 kentz1さんのnoteを読んだりARuFaの日記を読んだり

 4時に寝て12時前に起きました。ポケモンスリープでカビゴンに朝ごはんがあげられたのでよかったです(朝ごはんをあげるには午前中に起きなければならない)。

 今日は雨なので外出しなくていいよと太鼓判を押されている感じがして嬉しいです。

 昨日からkentz1さんのnoteを古いものから読んでいます。すごく面白いです。「18禁の動画を見て無理やり感情を動かさないと動けない日がある」という話が印象的でした(2020-05-25の日記|kentz1)。ありがたい……こういう話が読みたいですね、永遠に……。

 最近18禁の動画を見ていない気がします。加齢に伴い性的好奇心が減退していて、怖いくらいです。最後に見た18禁の動画ってなんだろう……動画って言うと3次元ですよね、2次元の2秒くらいの動画は18禁動画に含まれない?……二次元も含むなら、いつかは忘れたけど1年以内に、けそなんばーずさんの何かしらの動きのある絵を見たような……けそなんばーずさんはずっと活動されていて本当にすごいです。けそなんばーずさんの性欲は加齢に伴い減退されたりはしないんでしょうか。性欲で始めてライフワークとして続けているみたいな感じなんでしょうか。女の性欲灰になるまでという言葉がありますが(女性の性欲 灰になるまで | ヨミドクター(読売新聞))、ずっと「そうなんだ……」と信じていたのですが最近懐疑的です。性欲……やっぱり結婚した影響なんじゃないかと思います。最近本当に、不倫っていいんだろうなと思います。信条により、不倫はしないと決めているんですが……。不倫っていいんだろうなあ。脳内麻薬がドピャドピャ出るんだろうなあ。やっぱり性欲って焦燥感とか罪悪感によってブーストされますよね。私は統一教会の信者ではないんですけど、家庭が世界平和の礎だという主張には大いに同意していまして、その家庭を破壊してしまう不倫という行為は許しがたい悪だ、と思っています(まあ前提として「家庭」がおかしいんだみたいなことも言えますけど、現状は、の話で)。思っている、んですが、実際性欲の減退を自分が経験してみると、不倫に走りたくなる気持ちもわかるね、と思います。一夫一妻制じゃなかったら「不倫」の概念が成立しなくなるからいいんでしょうか?でもそうなったところで結局一対一の関係を望む人はいるだろうから、「不倫」がなくなる日はこないのかも……。

 昨日の夜ふと思ったんですが、子供のころに戻れるなら何がしたい、という質問に対して、私は、子供のころに戻ってもつらいから戻りたくないけど、中学でもうちょっと楽な運動部に入りなおしたい、あと卒論がゴミカスだったから、卒論を書き直したい。と考えていたんですけど、昨夜新しい候補が上がりまして、それが中学3年生くらいに戻って好みの異性とわりきりセックスしまくりたい、でした。あれくらいの年頃がいちばん性欲があったのに、セックスなんて絶対にできない雰囲気だったし私もそう固く信じていたんです。婚前交渉なんて不良だ!みたいな。でも性欲が無くなってきて気づいたんです、あの、当時は邪魔でしかなかった性欲が、貴重なものだったということに……。突飛な話かもしれないけど、私は生殖の観点から大学制度に反対しています。だってそれくらいの年頃がいちばん性欲もあるし、中高生よりも体が少し育っていて安産である確率も高いのに、その貴重な4年間を勉強やら自己研鑽やらに捧げるなんて……いや、いや、わかります、それこそが尊いんだという意見もあると思います。女は産む機械ではなく、男はただ大黒柱にされるのではなく、自己に向き合い、勉学を修める、その精神性こそ人間を人間たらしめるものなのだ、みたいな、知らないけど……。でももう大学って、なかば義務みたいになっちゃってるし、形骸化してるし、それなら貴重な体力と生殖能力を生かせる時期にわざわざ大学なんかに行かなくても、って思います。大学って妊娠して中退とかできない雰囲気なんですよね、最近はどうか知らないけど。海外の大学だと子持ちで大学生ってアリらしいですね。アメリカとかってもう高校からして日本と全然違いますもんね……高卒で大企業に就職したりするし(洋画(ブックスマート)からの偏った知識かもしれない)。高校卒業したらみんな大学に行くのがいいんだっていう雰囲気が完全になくなってほしいです。就職しても勿論いいし、あとで大学に行ってもいいしみたいな。基本みんな高卒でいいと思います。人によっては中卒でもいいと思うんだけどなあ。

 ああでも、ずっと私を突き動かしていたのは性欲じゃなくて逃避衝動だったのかもしれない、とも思います。だとすると性欲がなくなったのではなく、逃避する必要が無くなったので性衝動が薄れた、といえるので、それって望ましいことなのかもしれません。渦中にいるときは苦しんでいた気もするけど、失うと途端に途方に暮れたようになりますねえ、性衝動。あれに翻弄されていたときはそれはそれで死にたみとかすごかった、そうだそうだ、そんなような気もしてきました。やっぱり後悔って現在から過去を振り返るとき限定の特権なのかもしれませんね。ああすればよかった、こうすればよかったって思えるのは、それが過ぎ去った過去で、現在の私にその責を負わすことがないから。

 手向けの気持ちの話。大好きだった「21gのとしょかん」というはてなブログ(記憶が曖昧。もし間違っていたらすみません)が閉まるときにありったけのはてなスターを投げたのは、手向けだったのかもしれない、それってほぼ「弔意」だったのかもしれない。この観点は見逃してました。仏教的には、死んだ人の霊って死んだすぐあとは生者の近くにいるんだから、「弔意」を示す人たちは、故人にその言葉が、「まだ届く」と本当に思っている、可能性がある。これは衝撃でした。死者に言葉を届けられるという話は、私の中でリアルじゃなかった。だからみんなが弔意を唱えるのは、社会からの要請に応えて、生者同士で慰め合ってる、自分で自分を慰めているんだみたいな理解だったんですけど、「まだ届く」と思ってたんですね。「今ならまだ届く」と。だったらわかる。好きだった人にもう何も伝えられなくなるなら、「まだ届く」なら、葬式にお花代だって出すし、泣いて好意を伝える。私はそういうのってもう故人は死んでるんだから無意味じゃんと思ってたから、「みんなよくやるねえ。全然わからんけど、とりあえずみんなに合わせてお焼香しときます」みたいな気持ちでいたんですけど、「まだ届く」なら、やるわ。そうかー、そういうことか。

 対照的な言葉を並べてそれらって紙一重かもと考えると楽しい!「長い」けど「短い」、「早い」けど「遅い」、「生」と「死」、「永遠」と「刹那」。私の音楽は誰かのノイズで、誰かのノイズは私の音楽なんだ!

 推しの蓄積された成果物が多すぎて目を剥いています。何年分だろう……10年か15年分くらい。推し、すごい。人生を成果物にしていて、すごいです……。

 ARuFaのYoutubeが運営にBANされたとき「あんなに面白い動画がいっぱいあるチャンネルを?!Youtubeはなぜそんな勿体ないことを!?」と心の底から思ったんですけど、それって私が本当に上澄みの動画だけを見ていたからこそ出た感想であって、今、ARuFaの動画(Google Drive)で過去動画を見てみたら、いや「自分自身への虐待」でYoutubeから垢BAN食らうのも納得だわ……という感想になりました。体張りすぎでは!?すごい、これって世の中に出回ってていいんだ……裏ビデオかと思った……。コンセプトが裏ビデオじゃないですか?エロと面白は紙一重だということ……?人間が尊厳を失う様って面白い、確かに。人間が尊厳を失う様ってエロい、確かに。「これは面白です」ってラベリングされているから面白に見えている(本当か?)けど「これは未成年の男児が被写体の尊厳破壊系18禁映像です」ってラベリングされて出されてたら、そうだねってなりますよ。すごいな……。すごい。主体性の問題でしょうか?本人が自ら差し出しているからOKなのか?いやOKじゃないから垢BANされたんだ。Google Driveだと大丈夫なんですね、Google ってチャイルドポルノに厳しい印象があったけどな……。パンツは履いてるからなあ。でもパンツを履いていたからとて、ですよこれは……。女児だったら絶対にアウトだったと思います。なんか、男児って裸体R18判定ゆるいですよね。あ、でもすごい、笑える……人が股間を瞬間燃焼させてる映像とかケツにシャボン液つけて痛がってる映像とか扇風機を改造して股間を殴打してる映像とかケツ叩かれてベンチから転がり落ちてる映像を見て笑えるんだ、私って……。けど、普通に野外で露出してるのは、これ、大丈夫なんですかね。パンツさえ履いてればいいんでしょうか?現行犯でしか捕まえられないのかな。捕まらなくてよかったですね……。こんな動画見れてありがたいですね。すごいや。突き抜けてら。YouTubeに上げたらBANされそうな動画だけが載っているから濃度がすごいです。どの動画を開いても裸。ケツ。AVみたいな挙動。

 ARuFaの日記を古い方から読んでいるんですが可愛すぎる。ちいかわに抱くのと同じ感情を抱きました。特に文中で頻繁にセルフツッコミ構文を使っているのと、リア友と思しき人物にコメントを返しているのがよかったです。結構な頻度で更新している上に写真を上げたりネタを披露したりと、ホスピタリティというかサービス精神というかおもてなし精神が迸っていて、「みなさんに楽しんでもらえるようにがんばります。」(引用:祝!開設 - ARuFaの日記)を地で行っているのが、本当にカッコいいです。中学生でこれはすごすぎるし、それが今でも読めるのがまたすごい。あー……セルフツッコミ構文ってすごく好きだな。

arufa.hatenablog.jp

何度も書いていますが、ここまでこれたのも、本当にみなさんのおかげです!!!!!!!
みなさんが居なかったら、僕はもう寂しくて、露出狂になっていたでしょう・・・

このブログ500000HIT(アクセス)に感謝する日記のここの文章が、もう、本当に素晴らしくて……。『みなさんが居なかったら、僕はもう寂しくて、露出狂になっていたでしょう・・・』いやー……これは……こんな文章を永遠に読んでいたいです。永遠に。

 自律神経が終わってると娯楽を楽しめないので、いま自律神経が健康で本当に嬉しいです。

 私は頭が良くて文章を書いていて人生にあまり意義を見いだせていなくて社会に馴染めなさを感じていて哲学とかが好きな若めの男性というのがすごく好きなのですが、そういう人たちが哲学を通して探しているものってなんなんだろうと少し興味がわきました。その探求心って他の何かが満たされたら消える類のものなのかな、たとえば、何かしらがあってその人がものすごい多幸感を感じながら暮らせるようになったとき、それでも哲学的探究は続くんだろうか、という疑問があります。哲学的探究って生きることの苦しみに端を発しているんじゃないかと私は思っているためです。生きることの苦しみがなくなったときにそれでも哲学的探究心を維持できるのか?生きることの苦しみがなくなることなんてありえないからそんな仮定は無意味だったりするんでしょうか。