kの日記

人生の感想など

2024年06月15日土曜日 友達の美しすぎる家に招かれ

 今日は「18なんとかかんとかrock &(←エンドと読む)roll」というユニット名で活動する夢を見た(なんとかかんとかのところは忘れたけど何かの言葉が入っていた)。エンドロールとかかっているのが言葉遊びポイント。でもrockとrollのあいだの&って、エンドって読まない気がするね。えあんど、とかなんじゃないか?あっ、UKだとアンドで、USだとエンドに近い感じ(←英語の発音にまったく造形のない人間の感想)なのね~。でも日本のユニットだから「ロックエンドロール」ってめっちゃ日本語カタカナ発音で読んでいいのだ、日本のユニットだから!
 今日は9:45くらいまで寝た。体調がそんなに良くないから寝られる時に寝た方がいいとの判断。
 今日のブランチは残り物祭り。口の中で錬成するカプレーゼとシャウ。どちらも今日が賞味期限なのです。

 今日はブランチで済ませようと思ってたけどふつうに食べたりなかったのでうどんにだししょうゆとふりかけをかけて素うどんで食べた。おいしかった。
 Twitterで「病弱令嬢に転生した神殺しの武人の華麗なる無双録」の漫画の広告がよく流れてくるんですが、それの「泣いて謝るまで許さないから」というセリフを見て、むかし裁判傍聴に行ったときのことを思い出した。殺人事件。被害者遺族は「被告人からの直接の謝罪が一度もない。謝罪の気持ちということで賠償金(だっけな…?)を払うと言われたが、断った。そんなもので謝罪をしたということになったらたまったもんじゃない」みたいなことをおっしゃっていて、ああ、直接の謝罪ってそんなに大切なんだ、と、「自分の罪を認めよ」という、その気持ちの支配的な絶大さに、なんか、慄いた。私には人に謝ってもらえなくて悲しかったという経験があまりない、というかあったとしても今記憶として思い出せない、というのもあって、「人間が係争を終わらせようとするときに、相手方の『謝罪』の有無がこんなにも絶大な重要性を持つのか」ということに面食らうような気持ちが、やや、ありました。逆にもはや、遺族の方は、「謝罪さえあれば」みたいな雰囲気ですらあって、『謝罪』ってそんなに、そんなに重要なの!?と。『謝罪』さえあれば「とりかえしはつかないけれども、ひとまずは…」みたいな気持ちになって、『謝罪』がないと「絶対に赦すことはできない」みたいな感じになるんだ、人って……と思いました。このことって、多くの人にとっては「え?ふつうはそうでしょ」って感じのことなのかもしれないんですけど、私はそういう人生経験が無かったし、そういったやりとりを目の当たりにしてなお、「うんうん。やっぱり謝罪がない限り赦せないよね~~」という気持ちにはならなくて、「あ。あ。そうなんですね……」みたいな……。いや、何か悪いことをしたら謝ったほうがいいっていうのは本当にわかる。ほぼほぼ絶対に謝ったほうがいい。謝るにしても、変に保身しようとして中途半端にするのは絶対よくなくて、全力で謝ったほうが結局、自分にとっても、相手にとっても絶対的に良いことだ、ということはわかっているんですけど、何が気になったかというと、本当に遺族の方々全員が「被告人の謝罪のなさ」にものすごく怒っていて、例外が一人もいなくて、「え、そんな、全員が全員そうなんだ!?」みたいな吃驚が大きくて。あと、なんか、たぶんなんですけど、被告人が謝罪をしなかったのって、弁護人の方針だと思うんですよね。弁護士の方の指示だったんじゃないかなって。で、ちょうどその、私が見に行った裁判の時に、被告人が、被害者遺族に、謝ってて。それがすごく、なんだろう、被告人の方はたぶん本当に、本心で、心から謝っていたんじゃないかと、私には思われたんですけれど、すごくそれが、なんか、あるべきパフォーマンスが披露された、という印象で。ここで謝る、という被告人の弁護側の、計画が、ここで実行されたんじゃないか、という印象を受けまして。裁判全体についても、見ていて、「ああ、これって『業務』なんだ。弁護士と裁判官と検事が共同で行っている業務なんだ」という印象を抱いたいんです。なんかすごく、前例とか、裁判の方式だとかの規則に則っている感じ。なんていうか、ひとつひとつの裁判って、被告人にとっては刑期を決める重大なものだし被害者遺族にとっては心理的なケアに多大な影響を及ぼす、きわめてパーソナルなものであるんだけど、だけどそのじつ、裁判という仕組みは、とても業務的で、あくまで規則に、雛形にのっとって展開されていくんだということが、私にはとても衝撃的だったんです。だからその、言ってしまえば実際の裁判って、ぶっちゃけ、思っていたよりも「ドラマチック」じゃなかったんです。思ったより、私の思う「本当らしさ」がなかった。いやむしろ、業務的に、雛形をなぞるかのように審理が進められていくさまは、ある意味で究極の「リアリティ」があったといえるかもしれないんですけど、だから、そんな、淡々とした、こんなこと言ったら失礼なんですけど「嘘っぽい」というか、あまりに形式的に思われた裁判の場で、被告人から被害者遺族への謝罪が行われるということ、それ自体が、何か一種、みそぎのような……人が人との係争を終わらせるために、人間社会が設けた『儀式』、という感じがして、その儀式をそれぞれの立場の人々が、共同で、淡々と、着々と進めていた、という感じがして、という感覚で見ていると、『被害者遺族が犯人の謝罪を求める』というのも、それって、本当に本心なのか?ああ、いや、本心ではあると思うんですけど、それって、こんなこと言ったらあれなんですけど、与えられたもの?というか、、模範的な「ゆるしのプロセス」を、被害者遺族の方々は、踏んだのではないか……?という気がしたんですよね……。いや全然それが悪いとかではなくて、むしろ、絶対にゆるさないではなく、謝罪次第ではゆるすかも、みたいな、前向きな姿勢は本当に、あるべき姿というか、ありがたい姿というか、建設的で、良い、ことだなと、思うんですけど、本当か?という……いや、全然、本当であることって別に価値ないし、本当じゃなかったら何って話なのかもしれないけど……いや、でも、そうですよね、裁判なんかに「本当の本当」を出したってしょうがないのか……。こんな野次馬も傍聴に来てんだし。本当の本当のことは遺族の自助グループとか、そういうところでやっと、芯から信頼できる人たちのあいだでやっと、取り出せるものなのかもしれないな。生々しすぎて痛々しすぎて、裁判なんかでは出してらんないのかも。だから裁判ではそれもまた真実である一つの要求、「被告人への謝罪要求」の一本槍で、進んでいかざるをえないのかも……。いやー、裁判傍聴はちょっと刺激がすごすぎて、私には見れんな、と思いました。あまりに可哀そう。いろいろな生きづらさが結実して人を巻き込み法を犯すことの、いたたまれなさ……。社会の闇。病み。
 屠殺工場で働く人のストレスみたいな投稿をTwitterで見てベジタリアンのことをちょっと考えた。哺乳類と鳥類は可愛いからなぁ。やっぱりペスカタリアン(お魚は食べるけど鳥類・哺乳類は食べない)がちょうどいいのか?漁師でメンタル病むって聞いたことないからなぁ。でも聞いたことないだけで漁師もみんな病んでるんですか?でもお魚だったらストレスを感じないかといえば、わたし、むかしお店で活け作りを見た時は大層ドン引きしましたわ。活け作りってグロすぎない?あれが規制されてないの、もはや謎。たしかに、現行法では魚類は動物愛護法の対象にはなってないし、法的な問題はないんだろうけど、あまりにグロくないか?と思うのですが……。あーでも、生き物を殺して食べることのグロさに直面した方がいいのか?たまには。魚は切り身で泳いでるわけじゃないんだよって。でも、魚だって、せめてしめてから捌いてほしさある。ああ、でも活け作り、あれってしめてもまだ神経がびくびくするから生きてるように見えるだけで、死んではいるんだっけ?わかんね。ま、かわいそうっちゃかわいそうだけど、美味しそうだね🎵という気持ちで生きていけばいいかー。肉食続行。
 やっぱ冷笑ってよくわからないわ。「冷笑なんかしてるやつの気が知れねえ」って意味じゃなくて、みなさんが何を冷笑だと感じ何を冷笑だと感じないのかがわからない。冷笑系に触れたことがたぶんあまりない。あるいは触れすぎてそれが普通だと思っているから判別がつかない??いま盛んに「冷笑はもはやダサい」みたいなことが言われていて、それだってどうせみんな面白がって言ってるだけだとは思うんですけど、それに乗れない自分が、不安!時流がわかりません!冷笑ってなんなの?!ひろゆきひろゆきのことか?ひろゆき切通ってないからな〜。
 モテ男は苦手。
 生理、1日目がきつかったけど3日目の今はもうほぼ終わった感じでとっても楽だ。  
 お友達のお家にお呼ばれして行ってきた!すごく綺麗だった……新築すごい……!インテリアも美しすぎて、センスの良さに大感動した。いいものを見せてもらったな〜本当に!!友達とおいしいお菓子を食べながらいっぱいお喋りして、本当に楽しかった。友達って本当にありがたいなぁ。帰るのがとても名残惜しかった。
 晩御飯に納豆ご飯と崎陽軒のしゅうまいを食べた。晩御飯を食べながらラストマンの5話みた!ネタバレあり!うーん…面白いんだけど…ちょっと思想が強いかも…私のそんなに好きでない思想が……お弁当が勝つし……娘さんの物分かりがあまりにも良すぎるし……こんな仕打ちされて、こんな歪まないでいられること、ある?精神障害の一つや二つ発症するて、こんなん……。美談じゃ済まねえよ、こんなのさぁ……。てか、ごどうさんの被害者に対する厳しさが毎回、キツイのよねえ……。それは自罰でもあるんだけど……「エモ…」が来る前に「うわキツ…」がきちゃうのよ。でも面白い。でも面白いねえ。次も観よ。気になるところはちょこちょこあるけど、面白い。
 悪趣味な話かもだけど、人が死の直前に書いたものってそれだけで読む価値爆アがる感じ、ありますよね。どんな道をたどっても人間皆必ず死ぬからなあ。私も今後の人生で余命宣告とか受けたらそのことを書いたりしてみたいけど、実際余命宣告とかされたらショックすぎてそんな気持ちぶっ飛んじゃうのかなあ。もしかしたら、死んだ後に自分の書いたものが残っているのが我慢ならなくて、ブログを閉じたりするかもしれない?いや、逆にいざ死ぬとなったら自分の生きた足跡をできるだけ多くの人間に目にしてほしいという気持ちが今よりずっと大きくなる、か……?
 お庭のお花が綺麗じゃ。元気に咲いとるわい。

あじさい