kの日記

人生の感想など

2024年3月7日の日記 無意識にパクっていて驚いたこと等

 今日は4時ごろに寝て13時に起きました。ちょっと眠いです。夫がお風呂の換気扇の掃除をしてくれたので、1割くらい手伝いました。これで換気扇が元気になってくれるといいなと思います。

 昨日の夜、ダ・ヴィンチ・恐山のnoteを見ていて気付いたのですが、私が自分のブログに「2024年3月7日の日記」とかつけてるのって、ダ・ヴィンチ・恐山のnoteの影響かもしれない…っていうかたぶんそうです。自分では全くパクっているつもりはなくて、ただ、「この日記は2024年3月7日のものだってことがタイトルで分かるといい気がするな~」という感覚で始めた、と自分では思っていたんですけど、たぶん無意識のうちにパクったんだと思います。無意識パクリって怖いっ。でも、ダ・ヴィンチ・恐山のnoteはまず記事タイトルが先でそのあとに日付が書いてあって、私のは日付が先でタイトルが後なところが少し違っているんですけど、見比べてみると、「たしかにタイトルが先のほうがイイな!」と思いました……いやー、さすが文章で食ってるプロだ、きっと彼の書くものはいろんなところがそういう感じでちょうどいいんだろう。ダ・ヴィンチ・恐山は本当にすごい。特にすごいと思うところは彼が継続してnoteを更新しているところです。ほぼ毎日2000字とかのnoteを更新している。私はメンバーシップ登録していないので冒頭しか読んでないのですが……いや、本当に私は彼のファンなんですけど、今までnoteに課金したことがないので登録が面倒くさくて……金額はぜんぜん問題じゃないんですけど……いや冷静に考えてみれば、クレジットカード情報さえ登録すればすぐ登録できるんだろうけど……Mrs.Green Appleのファンクラブ?も登録が面倒くさくて結局してないんですよね……ああでも、Steamに登録した時もすごく面倒くさくて何か月も保留にしていたけど、結果登録してよかったもんな……ああ……面倒くさい。

 自分では「こんなに書いた」って思っててもこれで800文字とかなんですもんね。ほぼ毎日2000文字はすごい。1000文字は半分脳死(これ表現としてセンシティブすぎてダメなやつかな)で書けるけど2000文字は書けない。いや、書けるか書けないかで言ったら書けなくはない。けど、実際書いてないんだからそれは書けないってことだよな。

 私は「継続している人」を本当に尊敬する。私は継続することが嫌いなのかもしれないです。いつも学期末や卒業や退職が心底待ち遠しかったり、ブログもTwitter(X)も大好きなのに、急に止めたくなって止めちゃったりするところがあります。物理的な日記も書いては捨てちゃう。自分の文章が思ったよりも他人の関心を惹けないことがツラいのかも。思ったよりも自分の文章に価値がないことがツラいのかも。自分が思ったよりも理想の自分でいられないことに直面するのがツラいのかも。でもまたTwitter(X)始めちゃった! 勝手を忘れていてうっかり本名で登録してしまってビビりました。あぶない。

 継続といえば、(世の中のコンテンツは大体全部そうっていえばそうなんですけど、)匿名ラジオが毎週更新されているのもすごい。これまで400回をほぼ皆勤していてすごすぎる。安定した更新って本当にすごい。今週も更新されるものだと信じ切っていられることのありがたさがすごい。

 継続、こんなにも多くの人々が日々の生活を継続していて、すごいです。毎日働いている人すごいです。8時間労働、怖いです……。私は以前、8時間労働、9時間拘束、月に2回は土曜出勤あり(代休なし)の福祉職に就いており、自分的にはとてもつらかったです。ゴールデンウィーク(祝日は休みの職場なのでゴールデンウィークはキッチリある)には急な高熱が出て数日間寝て過ごしたりしながらもなんとかやってました。いい職場ではあったので感謝の気持ちもあるのですが、辞められて本当に嬉しい気持ちのほうが勝っています。お給料もいまいちだったし。そういう職場だったので、離職率はかなり高かったです。私が辞めたのと同時期に4人辞めたと聞いています。それで現場が回せたのか疑問です。

 前職の労働時間が少しキツかったことに加え、貴重な休日であるはずの日曜日が毎週毎週礼拝で潰れたことも痛かったです。教会の礼拝が昼と夜の二回あり、そのどちらにも役目があったので準備して出席しなければならなったし、昼の礼拝と夜の礼拝の間は怒涛の信徒間コミュニケーションの連続で、確かに充実はしていたけれども疲れて疲れて、冷たい恨みつらみ憎しみが育っていったような気がします。今はもう役目を降りたので礼拝は昼の一回だけ出席すればいいし、コロナのおかげで信徒間コミュニケーションも激減したので個人的には助かっています。教会的には危機だとは思いますが、本当に、本当に助かりました……。

 毎日8時間労働している人たち、すごいなぁ……私の現状の許容可能労働時間は週6時間×4日と見ています。週に1日休みが欲しい。平日に1日休みがあると、休みを取らずとも耳鼻科や婦人科に行けて便利です。

 今回日記を書いてみて、恨みつらみ憎しみに関することだったら2000文字でもつらつら書けるということがわかりました。まだ書けちゃう。同じ恨みつらみ憎しみを何度も何度も何度も捏ねてる。捏ねて捏ねて捏ね続けてる。でもこういうのってやめたほうがいいらしいです。いつか時が憎しみだけを蒸発させて、ありがたさとか、あったかい記憶とかだけを沈着させてくれることを願います。どうせ生きていくことは継続せざるを得ないのでせめて楽しく平和にね。

 でも前職と教会に対する憎しみについて思い返してみると、私はもともと結構残酷だったり冷酷だったりするところがあって、だけどそういう面を出してしまうと人々からのけ者にされてしまうから、そういう面が出ないように頑張って温かい人間性を構築して前面に押し出そうとしていたのかもしれない。それを忙しさが不可能にさせたから邪魔されたと思って恨んでいるのかもしれない。私にはそういうところがある気がする。頑張りたくない理由の一つに、頑張りが過ぎて疲れ始めると自分が思うような自分を保てなくなるからというのがある。私はいつでも良コンディションな自分を装いたい。疲れて仕事が雑になってバカみたいなミスをしたり、疲れてイライラしてまるで心の狭い人みたいに他人に怒ったりするところを、人に見られたくない。でも、もしかして、実は、バカみたいなミスをしたり、つい理不尽に他人に怒ったりしてもいいのかな? それでもいいのかも。それらを避けようとするほうが自分にとっても他人にとっても悪いのかも。

 今『死ぬ気で自分を愛しなさい』(カマル・ヴィラカント、野津智子訳、2020)を読んでいます。いやー、ある程度読んだあとに本の後ろのそでを見たら、著者近影がロン毛イケメンで驚きました。前書きの部分で、著者がこの本を出版する前にやたら逡巡していた様子が描かれていたので、そんなに恥ずかしいかね?と疑問に思っていましたが、このイケおじがこの内容の本を出したと思うと、たしかにけっこう衝撃的な感じがします。「死ぬこと以外かすり傷」(読んでないけど印象で言ってます、すみません。読んでみたいです)って言ってそうな顔。いいかえれば、男性性の競争から降りていなさそうな顔。マチズモ顔。なのに「死ぬ気で自分を愛しなさい」だもんな。ギャップもウケたのかもしれない。

 この本にものすごくいいフレーズがあって、本の表紙にもでっかく印字されているフレーズなんですけど、「もし今、崖に手をかけてぶら下がっていたら、あなたは死に物狂いで崖のうえに這い上がろうとするだろう。それと同じ必死さで、自分を愛していこう。そう、命がけで。」というもので、もうこの一文がこの本のすべてで、それをやるためにはどうしていくかっていうのが細かく書いてある感じの本です。もうこの一文だけで泣ける。この一文ってものすごい愛だと思う。自分を愛していくことを他人に促すことって愛なんだ、いやむしろそれこそが愛なんじゃないかと思いました。それってつまり「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えなさい」ってコト!? このことわざ、ググってみたら老子の格言だったんですね。めちゃくちゃかっこいい。

 

老子の格言で、『授人以魚 不如授人以漁』という言葉があります。

 

※「飢えている人がいるときに、魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか。」という意味です。

【14ゼミ】魚を与えるか、魚の釣り方を教えるか… | 学習塾ドリーム・チーム|1中学専門塾

 

 どうやって自分を愛していくかについては、だいたいキリスト教の教えからキリストを抜いたみたいな内容でした。悔い改めとか感謝とか瞑想とか。自分は自分自身にあるいは人生に愛されていると、繰り返し繰り返し唱え、ついにはそれを信ずるに至る、とか。自分のための儀式を設けて、それを守るとか。いやでも、有効だよな、そういうことなんだよな、という感じの納得の内容でした。問題はそれを実行するかしないかだ。とりあえず思い出した時には頭の中で唱えてみています。「私は私を愛している」という文言を。

 キングオブコメディ高橋の話。最近キングオブコメディの高橋さんのことをふと思い出します。私は彼の大ファンでした。当時、私は毎日寝ても覚めてもキングオブコメディのことを考えていました。キングオブコメディに関するもので当時アクセスできたものはすべて見たと思います。「ニコニコキングオブコメディ」というニコニコ動画の番組が大好きで何回も見ました。単独ライブ「葉桜」も見に行きました。開幕閉幕の際に流れるパッヘルベルのカノンがなんとも言えぬよさで、また、好きな芸人さんが数メートル先でリアルタイムで動いている事実に感動して涙が出たりもしました。初期の「ハンディキャップ」のDVDもなんとかして観たかったのですが、当時プレミアがついて1万越えの価格になっており、ついに買うのを躊躇したまま時が過ぎてしまいました。けれど買わなくてよかったと思います。買っていたらあのときに捨ててしまっていたと思います。キングオブコメディの高橋さんが制服泥棒で逮捕されたあのときに。私は本当にショックで、単独ライブのDVDだけでなく、エンタの神様やレッドカーペットでキングオブコメディが出たところだけを切り抜いて作った厳選DVDも捨ててしまいました。自作DVDはともかく、単独DVDを捨てたのは申し訳なかったと、今では思います。中古市場に流せばよかったです。当時の私は本当に理不尽な怒りに狂っていたと思います。初期の単独ライブDVDである「ハンディキャップ」は、おそらくそもそもの流通数が限られたものだっただろうから、そんな貴重なものを捨ててこの世から減らさずに済んだのは今思えば良かったと思います。高橋さんが逮捕されたときに、自分が否定された感じがして、それで怒り狂っていたんだと、今では思います。そもそも私は自分に自信がなかった。高橋の逮捕がその自信のなさを否応なしに暴いてきたので、激烈に反応してしまったんだと思います。私の好きな芸人さんが犯罪者だった、私は犯罪者を好きだった、私は見る目がない、私はおかしい、そんな思い込みの推論が当時の私にはキツかったんだと思います。だけど、今思い返せば、私は彼の母親がみずから死を選んでしまったらしいという話を知っていたし、父親と確執がありながらも二人暮らしをしているという話を知っていたし、彼が女性に対して並々ならぬコンプレックスを抱いていることも言動の端々からひしひしと感じていたし、コントの中にダークなやりとりが仕込まれていたり、彼の目が怖いことがあったりするのを見てきゃっきゃと喜んでいたのに、逮捕された瞬間に「騙された!好きだったのに!裏切られた!」と手のひらを反すのは無理があるよと、今では思います。認めたほうがいい。私は、ものすごく面白くて、頑張ってて、結果も残してて、だけどコンプレックスがすごくて、挙動がおかしくて、なんか社会にちょっと馴染めないような、そういう男がいちばん好き。だけど、そういう自分を自分自身が認めていなかった。だから逮捕されてほしくなかった。それを認めたらもう、「自分の好きなタレントさんが逮捕されるかもしれない」と怯えるのはやめられそうな気がします。好きなタレントさんが逮捕されることもある。私がそういう人が好きなんだから、なおさら。それでいい。もちろん犯罪を正当化したいわけではないのですが、別に私が怒ろうが怒るまいが犯罪を防げるわけでなし……。それなら怒らずにいたほうが自分のためにいいです。