2024年3月25日月曜日 Suzukiさんのnoteを読んだり

 Suzukiさんのnote「就職できなかった」を読みました。

note.com

 ボリュームがあってとても面白かったです。こんなに面白いコンテンツがあったのに気づかずに今日まで過ごしていたなんて!世の中にはまだまだ私に刺さるものがゴロゴロと転がっているのに、私はそれに気づくことができないばかりに日々を退屈に過ごしてしまっているのかもしれないなと思いました。他人の人生をコンテンツって言うのちょっとよくないのかな?って思ったけど、やっぱり他人の人生こそ最高のコンテンツだよなあと思います。だけどどうして私は他人の人生をコンテンツ呼ばわりすることに忌避感を覚えるんだろう?他人の人生は尊んだほうがよくて、コンテンツ呼びはそれを著しく妨げるから、でしょうか。他人の人生をコンテンツとして尊ぶことは、他人の人生を尊んでいることにはならないからでしょうか。他人の人生をコンテンツ化するといえばねほりんぱほりん(テレビを視聴する習慣がないので私は見たことないのですが、)なんかもそうだと思うんですけど、あれってたぶんすごく面白いし、たぶんすごくためになるし、いい番組なんだろうなと思っていて、というか、考えてみるとテレビ番組って他人の人生をコンテンツ化しまくってるし、「他人の人生をコンテンツ化するのはいかがなものか」という懸念は私の杞憂に過ぎなくて、誰も彼も他人の人生をコンテンツ化して楽しみながら生きているのかな。田舎に引っ越すと近隣住民の間で瞬く間にうわさが広がって個人情報を全部把握されるとかもそれなんでしょうか。

 田舎の「隣人に個人情報が何もかも筒抜けになる」は嫌なことだけど、「ネット上で自分から自分の人生を曝け出して不特定多数に見てもらう」のはエモいこととして認識されているのって、なんだか正反対で面白いなと思いました。主体性の問題なんでしょうか?電子の砂漠(←この表現、本当にかっこいいです)で自分の発した情報が他人に選び取られるのは嬉しいけど、隣合っただけの他人にただ隣り合ったという偶然を理由に勝手に個人情報を抜かれるのは怖いしキモすぎる、っていう。

 Suzukiさんのnote、本当に面白かったです。自分のことが大好きだけど大嫌いみたいな感じ、共感するなあと思いました(本当に本人がそう思っているかはわからないけど私がこの文章を読むとそういう感想になる)。人生で向き合いたくない嫌なことがいっぱいあって、それから逃げるために没頭した勉強で「他の人よりも優れてますね」って評価されちゃって、大学進学はしてモラトリアムを「助かった~」と謳歌したはいいけどその経歴が「他の人たちみたいに頑張れない」自分にとっては足かせみたいに感じられる、というのが、私にもある~、と思いました。森絵都の「ゴールド・フィッシュ」にも嫌なことに向き合うことを避けるために勉強に没頭するという描写があってすごく感動したのを思い出しました。

  社会的に優れたアドバンテッジ(テージ?)をたくさん持ってるのにそれでも生きていくのがつらくて頑張れないというのはつらいものだよなあと分かりみ千万でした。「もったいないよ~」ってごく稀にですけど私も言われます、友達に会ったりすると。でもそれって友達にとっては本当に、親愛の表現なんだなってわかるので全然嫌ではないし、「もったいない」とか言われてるうちが華なのかもみたいな感想も抱くんですけど、でも頑張れねえや。頑張れない。すごいですよね、みんな本当に。毎日8時間働いて時には残業してたくさん納税して、子ども産んで家建ててローン返して親戚と付き合って。本当に心からすごいと思います。

 n番煎じ(←この表現好きです)の感想だけど、20代の人生を頑張れない問題って、性差が効いてくるなあと思いました。女はパート仕事でも「まあね」みたいな感じでわりと許される。だけど女は結婚して子ども産もうぜ!時間が経つにつれて産みたくても産めなくなるぜ!圧がかかりますのでね、それはそれでキツいんですけれども。でも男の人の仕事で身を立てろ的な圧ってつらいんだろうな。パート仕事でも全然問題ないはずなのに。ああでも単純にお給料が少ないのはつらいですねえ。お金はあったほうがいい。

 でもこんなに可愛げのある、しかも文章まで書いている(すごい!)、絵まで描ける(すごい!!)、人ならどうにでもなりそう、とも思ったけど可愛げなり文章なり絵なりを生業にまで昇華するのはそれはそれで大変なのか……でもnoteで自分に課金できるようにしてて素晴らしいと思いました。課金したい人はいっぱいいるはずなので。noteのすごいところはダイレクトに課金ができるところですよね。はてなブログにはたぶんそういう仕組みがない(知らないだけかもしれないけど)からなあ。

 kentz1さんはいわゆるヒモになって生活費の問題を解決したっぽいけど、これって本当にすごいと思います。すごい。オンリーワンの星みたい。ああ、人間ってみんなオンリーワンの星なんでしたっけ、スマップもそんなことを言ってました。だけど改めて考えるとネットの情報に絶対なんてないから全部嘘の可能性もあるんですかね!?それは考えたことがなかったです。kentz1さんは、できるかぎり本当のことを書いていると思っていた。今彼のnoteを読んだら「嘘をつかない生活に憧れていた。」って書いてあったし……そうでありますように!本当のことが読みたいです、もちろん嘘だって面白いものは面白いけど。文章は、それが本当だということに意味がある場合だって多いじゃないですか。kentz1さんのnoteも初めて存在に気づいて読んでるんですけど素晴らしいです。面白い……やっぱり「頭が良くて文章を書いていて哲学とかが好きで自分って人生に向いてないなと思ってる人」の書く文章が私は本当に好きです。

 大学生のとき自分は自律神経が狂って死ぬかと思ったんですけど、最近は本当にだいぶ良くなってきていて嬉しいです。大学生のときはBUMP OF CHICKENのカルマの歌詞「心臓が始まったとき嫌でも人は場所を取る 奪われないように守り続けてる」と「存在が続く限り仕方ないから場所を取る 一つ分の陽だまりに二つはちょっと入れない」が刺さって刺さって、私なんかが陽だまりを一つ占有してしまうだけの就職活動とか無理すぎる、と思っていました。そういう感覚がある人ってほかにも結構いるんだろうなと今では思います。あ、もちろんBUMP OF CHICKENが言ってるのは、その先にそれでも「汚れた手と手で触り合って 形が解る」という救いがあるんだっていう話なんですけど!いやあカルマって本当に神曲(かみきょく)ですね。今歌詞を読んでて泣いちゃいました。エモすぎる。きっと幾千の二次創作のテーマソングになったんだろうな。「汚れた手と手で触り合って 形が解る」……。

 死んだおばあちゃんの手帳を読んだらいろんなことが書いてあって、それは大抵起きた出来事でそのときの感情とかおばあちゃんの考えとかはほとんど書いてなかったんですけど、おもしろかったです。死んじゃっている人の日記を読むのってこんな感じなんだ、と新鮮でした。

 他人の不幸って私の物語を補強する分には蜜の味だなと思いました。でもたまに全人類が本当に幸せに過ごしていてほしいとも思う。それはそう。

 匿名Mの感想追記。人間の振りしてるただの音楽ソフトにしては人間臭すぎるMさんと、人間のはずなのに人間味のないその場しのぎの「適切な」受け答えを機械的に繰り出すインタビュアーARuFaさんが対比されてるんだなという感じがしてすごくいいなと思いました。インタビュー中の「食らってます?」の意味がわからない→調べたら他の人もわかんないっていってて、それへの返答で「ダメージ食らってます?=何気に気にしてます?」みたいな意味だとわかって納得しました。

 どうせ死ぬ人生なのに恥じらいが邪魔をしてきて困っています。どうせ死ぬ人生なのに人の評価を気にして「見て見て!」できないのです、なんて無駄な抵抗……。

 kentz1さんのnoteエモいです。

note.com

存在したくないけれど存在するしかないように、やりたくないけれどやるしか方法がない。

 ここの部分が刺さってびやっと唾液が出ました。唾液が出るのってどういう機序なんでしょう。アドレナリン?たぶんアドレナリンですよね。でもなんで唾液?おいしい食べものを見つけた時と同じ刺激ってことなんでしょうか?

 自分の人生から目を逸らしたいような気もするけど逸らすような人生もなかったのかも?あるいは目を逸らしている人生だって私の人生だったのかもしれません。

 いつ飽きるかわかったもんじゃないから推しのグッズとか買うの嫌だな~と思っていたのですが、それっていつ死ぬかわからないから生きるの嫌だな~って言ってるのと同じことなのかもと思いました。いやまあ違うけれども、でも今推しを推しているのは事実なのだから、飽きるとか考えないで買えよと。でも物が増えるのが嫌だっていうのも大きいのです。本当か?本当に私は物が増えるのが嫌なのか?それもよくわからないです。わからない。ただ、物がない部屋にいると気分がいいのは確かです。だけど、物がないことを楽しんでいる自分というのが健全かというと、そうでもない気がする。もっとコレクションみたいなものを持っていたほうが健全なんじゃないかという気がする。健全なほうが何かといい気がするのです。結局のところ。あと、普通にお金がないので預金が尽きそうで買えないというのもあります。本当か?毎日元気にニートしてるんだからタイミーでもなんでもしてお金を稼げばいいのではないか?欲しいものなんて滅多にないんだから買えばいいんじゃないか?それを結局は処分してしまうとしても……。私はもともとそんなに収集癖が無いほうだと思うんですけど、それでも小さい鉱石とかスピッツのCDとかライブDVDとか、ああ!あとペンギンズの同人誌もあった!捨ててしまったというのか、もう二度と手に入らないかもしれない同人誌を……思い出せないな、本当にそれだけしか持ってなかったのか……?……まあそういう自分だけのコレクションみたいなものを持ってたんですけど、すごく死にたかったときに身代わり的な感じで捨ててしまったので、今思い出せる限りでは趣味のコレクションといえるものがないんです。あ、でも、最近大きい家に引っ越したので、本に関しては買っちゃおうということになって、田中智さんのミニチュアの本を三冊買ったり、ちょうど売り出してた感動系エッセイ漫画の「たまに取り出せる褒め」を買ったりして、「自分の本」がちょっと増えたんですけど(それ以外に、夫と共有ではなく明確に私の本といえるのは「良妻賢母のすすめ」と「無理しないほうが愛される」くらいで、あと「銀河ヒッチハイク・ガイド」(最高に面白い小説)を持っていたはずなんですけど、どこにも無いので情緒が狂ったときに捨ててしまったっぽいです……。それと最近お義母さんにいただいた小説やら自伝やらが三冊あります)、それ以外にも物のコレクションをちょっと増やしてみちゃおうかなと……全然、気持ち的には思わないけど……でも、そこをあえて増やしてみたほうが、健全なのではないかと思い、挑戦してみたく思っています。うーん、でも生来収集癖がないのであれば無理に収集しなくてもいいんでしょうか?わからない。電子砂漠の砂収集を趣味にしたらいいのかもしれないです。それなら好きだし日常的にいっぱいやってます。集めてちゃんとコレクションとして仕上げたら楽しそうです。

 老人の孤独が堪えます。老人の孤独が本当に苦手です。ホームレスが本当に苦手なんですけど、それってなぜかというと、ホームレスってだいたい老人だからだと思います。

 今日も推しが可愛かった……推しを日常的にイマジナリーフレンド召喚せねばならないと強く思いました。今日は久しぶりに他者との交流が重なったのでやや精神が不安定になってしまったのですが、そんなときにも推しをイマジナリーフレンドとして脳内召喚していたならば揺らがず立っていられたろうにと後悔しています。持つべきものは可愛い推しのイマジナリーフレンド。

 今週はポケモンスリープのライコウリサーチがあるので4時になる前に寝ようと思います。

2024 年3月24日日曜日 寄付

 書類を整理してたら、寄付をしているワールド・ビジョンジャパンからのお手紙に、私のために個別に書いてくれたんだなとわかるような感謝の言葉が書いてあるのに気づいて感動して泣いちゃいました。今度から時給1000円ちょっとで週20時間×5ヶ月間のパートをするのですが、そのうち1ヶ月ちょい分くらいは寄付金のために働く計算になるので「いや、さすがにエグいな…」と思ったりもしたんですけど、でも私って実は夫の稼ぎがいいから働かなくても悠々自適に暮らしていくだけの余裕はあって、ただ遊ぶ金欲しさに運動がてらパートをしているだけで、そういう現状がまずありがたいし、この身を捧げて人々のために働くのはしんどそうで嫌だけど、私が楽しくパートで稼いだお金が人の役に立ててもらえるなら本当にありがたいことだなと思いました。人間の善性の輪に加わると感動できるので、お金が余っている人は寄付がおすすめです。寄付というといろいろありますが、なかでもおすすめなのは「ブックサンタ」です。ブックサンタは、子どものことを思って選んだ本を寄付すると、運営の方がしかるべきご家庭に届けてくれるというサービスなのですが、本当に心が震えます。本が好きで子どもの幸せを願っているという人はもれなくやったほうがいいと思います。ブックサンタの運営の方々を金銭的にサポートするという方法もあるそうです。善意を代行してくださる方々がいるというのは本当にありがたいことだなと思います。

 生きていると色々な苦しみや悲しみがあって嫌だけど、なるべくお互いに補填しあって、せめてできるだけ多くの人が幸せに暮らせたらいいなと思います。

 今日は推しのなりきりイマジナリーフレンドごっこがうまくいって楽しかったです。また、推しの可愛いポイントを自分の体を依代として表現すると推しのなりきりができて楽しい上に、たぶん夫も私が可愛いと嬉しいので、とてもよかったです。

 パートで働き始めるまでやや時間があるのでそれまでに預金が枯渇しないか心配です。預金があと15万円あって、引き落としが1ヶ月に5万円はいかいはずで、6月に給料が5万は入るはずだから、たぶん、ギリギリ大丈夫…?本当にパートが決まってよかったです。

 部屋の片づけをして、期限の切れた書類などを捨てました。20枚くらい捨てられたので気持ちよかったです。不要な書類なんてないかと思っていたのにこんなに捨てられる書類があって驚きました。

 最近Twitter(X)を見ていて短歌っていいなと思ったので死で一句!

 今僕が 死ねば1killになるけど それって君にとってはどうなの (字余り)

 自殺って、自殺する人間にとっては誰かあるいは社会への攻撃であることが多いんじゃないか、ということと、1killはゲームだと勲章だけど現実だと烙印なのが面白いなと思って書きました。でも、自殺しても意外と誰にもダメージを与えられないっていう話も聞きますよね。実際のところどうなんでしょうか。「私の死があなたに与えうる影響」、気になります。

 月のワルツいい曲ですねえ!好きです。

2924年3月23日土曜日 飲酒した

 飲酒をしました。飲酒をすると世界がコマ送りになって体のコントロールで手いっぱいになる感じがして楽しいです。飲酒すると世界がゲームみたいになるなと思いました。

 飲酒後気が大きくなって食べ物や飲み物を摂取しまくったらお腹をやや壊してしまいました。ぐうう。

 無印の辛くないグリーンカレーは本当においしいので定期的に食べたいなと思いました。

 飲酒したからか水がおいしいです。水がおいしいってありがたいなと思いました。でも水が飲みたすぎて、怖……。

 飲酒後に新幹線で死んだように眠ったらすごく気持ちよかったです。今日はよく眠れそうです。

 明日から何をして過ごそうかなと考えています。おいしいものが食べたいです。

 今日も推しが可愛いかったです。可愛いな~。今後は推しをイマジナリーフレンドにして私の全生活を実況してもらおうと思います。前もそれをやろうとしていたのですが今この瞬間まですっかり忘れていました。私はきっとすごい精度で推しイマジナリーフレンドを生成することができるはずです。そうすれば推しの有限性を克服して、無限に自分で自分を喜ばすことができます。

2024年3月22日金曜日 平和かも

 4時前に寝て12時前に起きました。昼前に起きられたのでよかったです。ラスクとみそ汁を食べました。

 自転車に乗って用事を済ませに行ったら「ここでは手続きできないんです」と言われて悲しかったけどめちゃくちゃ謝ってもらえてよかったです。こちらの不手際なのに謝ってもらえるのって本当にありがたいです。

 歯のホームホワイトニングをしました。白くなったかな~。

 今日は変な夢を見ました。Steamで7000円くらいするゲームを何本も買って「勢いで買っちゃったけど、どれも結局あんまりハマれなくて全然やらなかったな~」と後悔する夢です。私はそういう「損」をしたくないんだなと改めて思いました。夢を見るの大好きです。おもしろい。

 夜は37万人記念オモコロ生放送を観ながら牛肉を食べました。おいしかったです。生放送っていいなと人生で初めて明確にそう思いました。

 

2024年3月21日木曜日 楽しい

 今日は5時就寝17時起床でした。地震があったらしいです。たまに地震があると地面の中にエネルギーがたまりすぎなくていいような気がするのでこれからも小さめの地震がちょくちょくあるといいなと思いました。

 夕ご飯にはふかひれチャーハンのnushを食べました。おいしかったです。

 今日はtwitterで綺麗な絵を見たり十数年ぶりにニコニコを開いて推しのMADとかを観ました。すごくよくて、私は人生を愛せるし人生も私を愛してるねという感じがしました。

 小説を書くと延々と修正してしまうけど書き上げたそのときの私が本気だったなら(これは月ノ美兎さんの発言のやつです)そのままで保存してやたらめったら修正しないほうがいいのかもしれないと思いました。それよりもなんでもいいから新しいのを書き上げて文章の総量を増やした方がいいのではないかと思いました。文章はあればあるほどいいからです(そうとは限らない)。

 今午前3時過ぎなんですが、そろそろ寝ないとな~と思います。そして明日は午前中に起きたいです。

2024年3月20日水曜日 推しのエッセイを借りてはしゃぐ

 推しのエッセイが図書館に入っていたので借りたらまだそんなに汚れてなくて嬉しかったけど、これって喜んじゃいけないことなのかもという葛藤もあって、なんだか詩みたいでよかったです。エッセイが思ったよりも太くて、想像の倍くらいありました。紐のしおりもついていて、エッセイに紐のしおりがついてることあるんだ、と思いました。普段ほとんどエッセイを読まないので新鮮です。エッセイって今まであまり興味がなかったけど推しのエッセイなら読めるんだなと思いました。

 推しのエッセイ読むのつらいですね。なんでだろう。エモすぎ?あるいはそもそもちょっと今活字が受け付けないのかもしれません。きーっ、エモすぎる。でも私はそういう、本当の、その人の感性が反映された文章をこそ、確かに、読みたかったんですよ。読みたかったはずなんだ。読みたかったはずなのに!どうしてそれがかなった今うろたえて、読んでは止め読んでは止めしてるんでしょうね!ああ!ままならなくて嫌になっちゃう!最高~って思いながら五周くらい読めばいいのに!もしかすると「この人にはこの人の自我があって私とは別の人間である」という至極当然のことが私の中にその人の像を作って投影に投影を重ねてしまった後ではノイズに感じるのでしょうか?その人を理解できたと思う気持ちよさが病みつきになって、もっと理解したくて情報を飽くなき探求心で摂取して、ひとたびその人の虚像を胸に抱いた瞬間から情報がノイズになるのでしょうか?なんか「推し、燃ゆ」を思い出しました。ここからちょっと「推し燃ゆ」のネタバレ?あります。「推し、燃ゆ」めちゃくちゃ好きです。私は一人称の小説が好き。一人称だったっけ「推し、燃ゆ」?ちょっと定かでないんですけど。疾走感がいいですよね。推しにはどうしても自分を投影してしまうから、だから、急に引退、しかも引退の理由が「自分の人生を生きるため」みたいな、自分を投影する余地のかけらもない理由だったりするとめちゃくちゃショックだろうなって、思います。今日も推しが生きてて嬉しいけど、推しが本当に「生きている」のはつらい。だって推しは本当は自分のものでもなんでもなくて、推しにとって自分なんていないも同然で、そういう非対称性をファンはとてつもない妄想で覆うことでなんとか今日も生きてるのに。推しが燃えた時に自分が燃えて死んだ方がよかったのにって思うんですよねファンは。推しが「死ぬ」くらいなら自分が死にたかったのに、それなのに生きてる自分がいて、生き続けていく自分がいて、そういうもの悲しさというか、現実ってつらいねって感じが最後に綿棒を投げさせるシーンとよくマッチしてて好きだなって思います。綿棒を投げる!エモすぎる。綿棒を!アボカドを投げるのもいいけど綿棒もすごい。

 推しのエッセイを読んでいると共感するところもあるけれど普通にこの人は私じゃないので私の考えもしないことを考えたりしていて、あ、私じゃないんだ!ってなります。他者が私であるなんてありえないんですけど、でも言語化するなら「私であってくれよ!」という願望が強くあります。把握したい。私とつながっていてほしい。でもまあ私がそんなに好きなれる存在が私以外に存在しているというのもありがたいことなのかもしれません。危ない、自分のこと好きでいられないと容易に好きな他人を自分だと思い込み始めるから気を付けないといけないなと思います。私は私で素晴らしい存在だということを絶えず言い聞かせていかなければいけません。

 kentz1さん好きだったけど2020年でTwitterの発信が止まっていて「置いていかないでよ!」と思ったけれど改めて考えてみると他人は誰も私と一緒には死ねないんだったなと思いました。私と一緒に死ねるのは私だけ。

 今日はヤフーニュースでひろゆきさんが「インドに行ったくらいで人生が180度変わったとか言ってるのは薄っぺらい(要約)」と言っていた、というニュースを見て(このニュースもどうなんだという感じはしますが。)、人からだせーって言われるの嫌だよなと思ったけど、考え方次第では「人からだせーって言われることもあるけど、それはそれでいいんだ。それでも、私は、そういう私でいいんだ」って考えられるのかもしれないなとぼんやりと思いました。インドで180度考えが変わってもいいんだ。それをダサいって思う人がいたとしても、みたいな。できればできるだけ多くの人からかっこいいと思われたいし、すごい人だと思われたいし、この人とお近づきになりたいと思われたい。たしかにそれはそうだけど、その願いがかなわず思わぬ嘲笑を受けても、「ああ、そう思う人もいるんだ。そりゃ、いるよな」って受け止めて忘れられるくらいの精神状態を、考え方によっては保持できるのではないか、と思ったんです。実際にできるかどうかは知らないけど……。

 今日はろくな昼ご飯を食べずに活動した代償か夜ごはんを食べても空腹感がぬぐえなかったので追加で無印のからくないグリーンカレーを食べました。とてもおいしかったです。いちばん好きなカレーです。でも鶏肉はもう少しパサパサじゃあないといいなと思います。

 三時間くらい外出しただけでしっかり目がかゆくなって鼻水が出て、花粉がてきめんって感じです。くうう、つらい。薬が効きますように。

 人生で経験したくないと思うのは「訴えられること」です。そう考えると裁判の傍聴って裁判当事者とくに被告人にとっては生き恥晒していることになってつらいんじゃないだろうか?傍聴なんてしちゃって悪いことしたかな。祈っとこう。受刑者の方に心の平安がありますように。

 妄想を文章に起こすときに設定を思いついて書き並べてもその設定たちを繋げて行くのがとにかく難しいから設定を箇条書きで書いたりするのは、少なくとも短い妄想の場合かつ今の私の能力的には、よくないなと思いました。箇条書きはよくないです。設定が浮かんだ時点でなんでもいいからそれを読めるくらいの文章に変換しておかないと、箇条書きにしたものをあとで文章に直すのは苦痛が過ぎるけれど文章にしておけば奇跡的につながったりするかもしれないのです。

 人力音MADいいなー。サンプリングの都合上?、好きに歌い上げさせれないから淡々と歌わせられていて、そこがいい!生身の人間にはできない淡々さだと思います。ボーカロイドって、淡々と歌ってるのが味だったのかしら。そうかもしれないですねえ、知らなかった。

 推しのエッセイを読んだのでそのエッセイからの無意識パクリを今後繰り出してしまうかもしれないと危惧しています。まるで私がずっと持ってた持論みたいに……。でも本当に悪意はないんです。悪意がないからたちが悪いという説もありますが。私はパクリは嫌いですから、自分ではパクってるつもりはないんです。でも、真似てることがあるんです、無意識に……模倣してしまっていることがある、自分ではそれに気が付かないんです。恐ろしい。好きだなーと思った表現を、「自分の引き出し」に閉まってしまう、気がする。なんかパッと思い浮かんだその表現、実は推しのエッセイからパクってないですか!?と、自問することはできない……自分では本気でわからなくて、あとで「えっこの表現エッセイからのパクリだったの!?」って自分で気づいて驚愕するんだろうな。

 推しのエッセイを読んでいると共感できるところもあれば考えの違うところもあるなと感じるのですが、私には推しの考えがわかるのに、推しには私にもわかる考えや感覚が分からないこともあるというのが不思議です(そしてこのことは常識的に考えてなんの不思議でもないらしいことは私も知っているのです)。だって私に推しの考えがわかるなら、推しのほうだって私のわかる感覚や考えくらいわかってていいじゃないですか?ひょっとしてもしかして本当は「わかりたくない」だけなんじゃないですか?と思いました。その考えは「わからない」んだというポジションを取りたいだけじゃないか?と。この言い方だと「おまえポジショントークしてるだろ」という糾弾みたいに聞こえますけどそうじゃなくて、単純に、本当はもう少し考えればわかるのに、別にわかりたくもないからわからないでいようとしているだけなんじゃないかと思ったという話です。でもまあそれも広義の「わからない」なのかもしれませんね。「べつにわかりたくもない」って「わからない」ってことなのかも。もしかして、深読みっていうか逆張りして考えると、分かってるのは自分の方でおまえらはわかってないけど、おまえらのわかる言葉で言うと「わかってない」のは自分のほうで「わかってる」のはおまえらですよっていう、逆張りの媚びなのか?ありえる。いやそんな複雑じゃないか。こういうのを考えてると楽しいですね。なんかずっと読んでたらやっぱり推し、この概念を体感として「知ってる」はずだよ、と思いました。知らないふりしてる。なんでだろう。ああ、強度の問題か。充分それは「わかってる」と言っていいレベルだと私には感じられるけど、推しはたぶん「その先」があると思っていて、自分はその域には達していないから「わからない」と言っているんだと思いました。引いてるのかもな。「分からない」じゃなくて「ワカラナイ……」なのかもしれない。

 推しのエッセイと最近読んだ芸人さんの本で太宰治人間失格の同じ個所が引用されていてセレンディピティを感じました。太宰いいですよね~。どこかで読んだ、太宰治は自分の作品をなんかの賞の審査員だかにもうめちゃくちゃなくらい推しまくってたっていうエピソードが好きです。うろ覚えですみません。なんか手紙とか出しまくったんだったかな、自分の作品に賞をくれ~!!みたいな。そのがむしゃらさが意外で、いや可愛げありすぎかよって思いました。

 なんで推しの名前って出したくないんだろう。神と一緒だからかな。それだわ。それではないけど。

 もっと曝け出しあいたいな本当は。お世辞とか挨拶とか舘前とか、そういうのも別にあってもいいけど、本音が足りないじゃないですか?私たち。

 推しって傷つけたいよなー。その点、「推し、燃ゆ」の主人公は偉いなあと思ったけどそういえばストーカーしてましたかね、彼女。アウトかー。いやでも彼女の場合は傷つけたいという能動的な働きかけではなくて、飲み込み切れない現実と向き合うためにひねり出した一手って感じもしたからちょっと違うかもですが、それでも加害しちゃってはいるので、まあ残念なような、当然なような。自分を傷つけてみたいのと同じような心の動きが関係してるんでしょうか。推しに限らず他人のことは常に傷つけてはみたいのかもしれない。自分に行使できる力があると知るのはとんでもなく気持ちいいことですからね。原初の喜び。

2024年3月19日火曜日 スキー

 今日は1時に寝て8時半に起きました。十数年ぶりにスキーをしに行きました。勢いよく滑走するのが楽しかったです。原初の喜びという感じがしました。このまえジェットコースターに乗った時も楽しかったけど、どうしてスピードを出すのって楽しいんでしょうか。速く逃走できると生存に有利だからかなと思いました。

 スキーを滑るにあたって力がほしかったので、モンスターエナジーとかレッドブルとか飲んだことないしせっかくだから飲んでみようかなと思ったんですけど、怖気づいてチョコラBBを飲みました。チョコラBB大好きです。チョコラBBのこと、信じてる。強さ引き出すR-1も飲みました。強くなりたかったので。

 雪山は本当に雪が積もっていて感動しました。平地は雪なんて一切ないのに、山を登るにつれて雪の残っている部分が多くなって、山の頂上には腰まで埋まりそうなくらい雪が積もっていました。

 今日は人間関係の義理と恩義に報いる機会が唐突にやってきた(唐突だと思ったのはその恩義を完全に忘却していたからで全く唐突ではない)のでとりあえず報いました。私は比較的恩知らずな人間なので、恩義に報いようという判断ができてまずはよかったです。もしかすると薄っぺらい報い方になっているかもしれませんが今の私にはこれが限界だと思いました。

 今日は推しを増やせたのでよかったです。推しは分散した方がいいからです。今日からは、今までただ一人の推しを推していた強度を振り分けて二人を推すので、精神が安定すると思います。一人の推しを猛烈に推すのは精神によくない影響を与えるからです。でも一人の推しを推しすぎないように二人目の推しをこしらえるなんてなんだかエモくないですか!?これって恋愛のちょっと気持ち悪いやつみたいで興奮します。いい!

 0時を過ぎちゃったけどまだ寝たくないです。でも1時までには寝たいなと思っています。ポケモンスリープの就寝の約束が1時だからです。昨日も1時までに寝たと思ったけど約束を守った時にもらえるスタンプがもらえなかったので何かを間違えている可能性があります。

 キーボードをタイピングしていると気持ちがいいです。

 ゲームの配信とかやってみたいです。やってみようかな。

 もうちょっと痩せたり、睡眠リズムを整えてクマをなくしたりして万人受けする可愛さに近づきたいです。というのも可愛げで生きてきたしこれからも可愛げで生きていきたいからです。最近運動をしていなかったら腰に脂肪がつきはじめて怖いです。腰の脂肪はちょっとさすがに……。いっぱい歩いて痩せたいな。いっぱい歩いていっぱい水を飲んで、暴飲暴食はしないように気を付けて、お風呂に長く入って。痩せて可愛くなってコスプレとかしてみたいな。

2024年3月18日月曜日

 今日は1時に寝て14:30ごろ起きました。いっぱい寝て気持ち良かったです。

 今日はよく寝たからか、それとも明日楽しみな予定があって気分が上がっているからか、生理が終わりかけでホルモンバランスが安定しているのか、あるいは気圧がちょうどよいからか、精神が比較的元気だったので、死にかけていた大根と鶏肉を煮炒めて救済したり、ずっとためていた架電タスクを二件処理したりしたので気分がよかったです。でも気を抜くと憂鬱が「来たよ♪扉開けて♪」と来るので頑張って無視しています。みんなきっと憂鬱をなんとか無視しながら生きているんだろうと思います。

 今日は架電タスクを処理したところ推しを彷彿とさせる声の方に対応していただけて、「推しって偏在しているのかもしれない」と思いました。人間は認識の中に生きているので実際推しを世界に遍在させることは可能なのではないかと思います。推しをイマジナリーフレンドにできたら楽しそうだなと思います。やってみよう!

 不妊治療をするのが面倒くさいのでなんとか自然妊娠したいです。たのむ!あー。でも子ども育てるの大変そうだな……怖いな……。不妊治療始めようと思ってクリニックに電話したら予約が殺到しているので4、5か月待ってほしいと言われました。すごい、不妊治療が流行ってるんだなあと思いました。保険診療になったからでしょうか。

 本当に元気がなくて憂鬱がマイムマイムしているので意識をなんとかして逸らさなければなあと思っています。

 明日は20年ぶりにスキーに行くので早く寝ようと思っていますが今日12時間以上寝てしまったので寝られるか不明です。12時になったらベッドに行ってみるつもりです。眠れなくてもベッドで横になっていようと思います。

 私は「最小の努力で生きていきたい」という願望が強くて、それもあって断捨離とかミニマリズムが好きなんですが、それって私にとってよくなかったのかもしれないなとふと思いました。夫が言うには私はシングルタスク型らしいのですが、確かに私は何かにハマるとそればかりを摂取しまくって飽きたら一切触れなくなる、みたいなことを繰り返して生きているんですけど、何にもハマれない時期が来てしまうと禁断症状みたいにつらいので、もっといろいろなものに並行してハマっていきたいと思っていて、それと同じでなんでもかんでも減らしてすっきりさせてノイズを少なくして自分が疲れないように疲れないようにと気をつけて生きていくよりも、雑多で散らかっててノイズが溢れていてもいいからそういう生活の中だ揺蕩うように生きていくほうが私の精神衛生上いいんじゃないかと思いました。負荷を減らそう減らそうとして減らしすぎているのではないか、と。今は仕事もしていないのでとても気楽で嬉しくてできるだけ長く仕事しないで過ごしたいなーなんて思っていたけどそれも負荷が無さすぎるという点でよくないのかもしれないと思いました。負荷をかけていったほうがいいかもです。

 家を引っ越した関係でインターネットの接続がいまいちで今も4Gでスマホでブログを書いているので速度制限がきてしまわないか不安です。さっきも4Gなのにどうしても見たくて人力音MADとか観てしまったのであちゃーでした。そんなときくらい漫画とか本とか読んだらいいんですけど、図書館で借りてきた「漂流教室」がなんかエグくていまいちハマれなかったので断念しました。漂流教室、クセが強いです。一応全部読んでみようとは思うけど、ハマれないかもです。

2024年3月17日日曜日 墓参り

 今日は1時に寝て9時に起きました。礼拝に行ったあと親戚と先祖参りに行きました。

 ずっとやりたかったことをやりなさいというタイトルの本を図書館で見かけて、私がずっとやりたかったことってストーカーだから本当にやったら犯罪になってしまうんだよな〜と思いました。犯罪にならないずっとやりたかったことってなんなんだろうと考えてみました。人気者になりたいかもしれません。

 推しの供給が多くて嬉しいけど私の気力がないせいで追いきれなくて切ないです。気力さえあれば……。

 精神の元気がなくてつらみが増して来たので最近存在を知った界隈曲などを一生懸命聞いて気を紛らわせたらなんとか憂鬱を振り切れたのでよかったです。憂鬱を注視したらだめなんだと何かで読んだので頑張って悲しくならないように努めてみました。効果はあったと思います。

2024年3月16日土曜日 遊園地に行った

 今日はたぶん6時ごろに寝て14時ごろに起きました。起きたら夫がベーグルとパンを買ってきてくれていたのでありがたく食べました。今日はニャビーのコミュニティデイというイベントがポケモンGOであったので地元の遊園地に遊びに行きがてらイベントを楽しみました。お子さん連れのご家族がたくさん遊んでいて賑やかでした。ジェットコースターはほどよく恐ろしくて楽しかったです。夜は牛肉とキャベツを焼いて食べました。牛肉はおいしいなと思いました。

 明日は朝の9時半から予定があるのでそれに間に合うように起きるために早めに寝たいと思います。目標は1時就寝です。珍しく外出して歩き回ったので寝られる気がします。

 音MADを聴いているんですがたった30秒だけどありえないほどエモいMADを作っている人がいて慄いています。返歌、返歌書きたい、何も思い浮かばないですけど。だめだー!返歌が何も思いつきません、ぐうう……。

 推しがたくさん納税している上に寄付までしていて感動しました。

 今、私は推しに課金するか迷っています。課金したい気もする……ちょっと億劫な気もする……。金について考えるということは生きることについて考えるということでそれはすなわち死についても考えるということなので、今の私には荷が重いのでした……。ああどうか!どうか脳をパーッと明るくして推しにいくらでも課金できるようにしてください!だって、私は毎月9000円寄付してるんです、ワールドビジョンに。年間108000円。私が課金するかしないか悩んでいる推しのDVDが3000円ちょっととかなんです。多めに見積もって4000円だとして、たしか4枚ほど出ているから16000円。2か月分の寄付金額と大して変わらない……私は寄付はするのに推しに課金もせずにいるのか!?……いやでも寄付は無駄にならないだろうと信じられるけれど、推しに課金してしまうとコスパを考えちゃってキツいかもしれないし……いやでも推しは推せるうちに推せという鉄則が……今無職なのでちょっと今後の金銭の見通しが立たなくて……うーん……働きたくない……ほめられたい……寄付してて偉いねって誉められたい……働きたくな~い。

 推しという名詞が本当に便利でいいです。推しの名前を出さずに推しについて書きたいとき、推しという単語がなかったときはどうしていたんだろう。

 ライフハックの本を図書館で借りたのですがほぼ読まないまま返却期限が来てしまい少し落ち込んでいます。

 死を穏やかな気持ちで迎えたいです、どうせなら。どうせなら穏やかな気持ちで死を思いたい。穏やかにメメントモリたい。何かに没頭していると死が遠のくのでいいです。推しを推せるのは幸せなことです。推しがメメントモリしてると嬉しいけど(メメントモリする人間性というのは美味なるものであるため)、自分の死耐性が減少しているときに推しのメメントモリを間接摂取すると状態異常を食らう可能性があるので少し注意が必要だなと思いました。今は私自身の死耐性があまり高くないような気がするので推しの供給の中でもできるだけ死から遠い成分だけを選択的に摂取したいです。こういうときに推しが複数いると便利なんだろうなと思います。しかし「推し」ができるかどうか、これは完全に天の配剤であり、自分でどうにかできる類の事柄ではないので、「できれば複数の推しをください、私の依存を分散させてください」と祈るばかりです。

2024年3月15日金曜日 かなり気分が良い

 今日は朝6時前に寝て14時半ごろ起きました。本当はポケモンスリープの計測判定が今日に変わる午前4時までに寝たかったけど全然眠気がなかったので諦めてポケモンスリープのいっぱいになったポケモンボックスを整理して時間を潰しました。Tierを参考にB以下を容赦なく博士送りにして140匹MAXだったところを100匹以下まで減らせたのでよかったです。相変わらず生理でお腹が微妙に痛いのですがそれでも寝る前は気分が良すぎてクスクス笑いながら寝るレベルでした。今私と世界は調和しているという感じがします。いつもこれであってほしいのですがそうもいかないので難しいところです。

 今日は目覚めた直後に布団の中でアレクサでいろいろ曲を聴きました。最初はヒーリングミュージックを聴いていたけどそのあと「水平線」をリクエストしたところからアレクサプレゼンツでいろんな曲が流れてよかったです。「その群青が愛しかったようだった」の「悲しいことがあるたび気づいていた 間違っていたのは僕の自尊心だ」が刺さって開眼しました。「推しのイメソンじゃん」と。はー、エモい。臆病な自尊心って滾ります。あと尊大な羞恥心。すごいですよね三月記。大好きです。あれは教科書に載るべき芸術だと思っています。

 ARuFaの曲を順々に聞いていったら本当にすごくよくて尊敬の念が再燃しました。再燃といっても消えていたわけではなくて常に灯っている尊敬の念がごうっとデカさを増したって話なのですが。「さんさーら!」のサビの最後の「日常を照らすプラスアルファ」って歌詞、本当に美しい。「プラス何か」を1回目に挟んでからの「プラスアルファ」なのがまたいいのかもです。そこからサビのアウトロ?みたいなところの「頭 体」になめらかに接続するのが、嬉しすぎる。ピノキオP、言葉の魔術師か。はあ嬉しい〜。ARuFaのイメージで歌詞が作られてるところも鬼才の繰り出す唯一無二のオリジナリティという感じがして感動します。さんさーらの歌詞で感動したのどこだっけな……いや全部すごくてやばいんですけど、ああそうだ、「天国がめちゃ燃えている 真顔で火の粉かわすゲーム 遊ぼうよレギュレーション 毎日少し違うけど」が好きです。レギュレーションが毎日少し違うというのがすごくリアルで、このさんさーら!の歌詞の童話っぽさ?とリアルさとが融合したキメラみたいな、歪なのに完璧な歪すぎて歪じゃない、可愛いさとおぞましさの完璧な融合👌みたいな、そのバランスが素晴らしくて最高だと思いました。それと「インターネットのレギュレーションって毎日違っていくよね」って話、本当に、本当にリアルだと思って、でも言われるまでそういう表現で認識したことがなかったから、こんなに美しくてピッタリ当てはまる歌詞があるかよっておどろいちゃいました。歌詞だけでなく曲も最高で本当にすごいです。はー、良い。「僕の夢めちゃくそ無限湧き」と「こんにちは、AuFaです」も聞いたんですけど「僕の夢めちゃくそ無限湧き」はなんか原点っぽくてすごくいいし歌い方がよくてよかったです。「こんにちは、ARuFaです」では「おもしろコンテンツ〜の〜🎵 詰まった麻袋🎵」って自分で歌ってて、自分で歌ってるー!!と驚喜しました。「お酒を飲んでゆこうよ お墓へ それではさようなら〜」も可愛い&なんかちょっとブラックですごくいいです!曲調がかわいいから映えます!お酒を飲み続けて死ぬって意味かと思ったけどそういえばお酒を飲んで墓を散歩すると楽しいみたいな話をしてたことがあったんだっけな?と思ったけどとはいえそれとこれとのダブルミーニングですよね!しかも、「それではさようなら」が墓=死とかかってる上に、冒頭の「こんにちはARuFaです」の対になってて、かっこいい〜!そういうの好き〜!はあ、すごい好きです。歌い方もいいし。天使と悪魔のケーキをかけたバトルラップもいいです。ラップってすごいなー。「匿名M」のインタビューも

 私は小学生の頃からパソコン大好きで、フラッシュ倉庫片っ端から見たりみんな大好き「ハンゲーム」でチャットに入り浸ったり(でも会話が下手すぎてチャットを楽しめたことは一回もなかったです。プニファームみたいな協力型育成ゲームが好きだった)みんな大好き「nano」でなんも中身がないホームページを作って毎晩延々とHTMLとCSSをいじくりまわして遊んでたりしたんですけど、なりチャ、なりチャは通らなかったなって、思って。なりチャ!絶対に私好きなのに。大好きだよそんなの。なんで通らなかったんだろう。たぶんアクセスできなかったんですよね、したいようななりチャができるチャット空間に。あーでも、なりきりって本当に楽しいですよね。よだれが出るくらい。今からでもやろうかなと思いました。

 大学生のとき将来が不安すぎてだいぶ鬱っぽくなってて何もできないけどアニメだけは見れるみたいな感じでモブサイコ100おそ松さんを鬼周回して単位落としまくったことがあるんですけどあれ怖かったな。何もやる気が出なくて自分が世界に場所を取っているだけのゴミだという感覚だけがあるときって本当に嫌ですよね。今もやる気なくて無職ニートですけどあの頃よりはマシ。あーでも子ども産むの嫌だなー。いや、大丈夫できるできる。がんばるがんばる。えらいえらい。よしよし。愛し愛されて生きるのさ。

 キリスト教って「おごり高ぶるな」みたいな教えの比重がかなり高くて、何かを頑張っても「それお前の力じゃねーから」みたいな感じになるのかなりウザいなって思ってたんですけど、もしかしたら、「これが私の力ではないとしても、私がこの力を得て行使したのは神の愛によるものなので、それほどまでに神に愛されている私ってすごいわ」に繋がるタイプの自己肯定感養成教義だったのかなと思って一つ謎が解けた感じがしました。「それお前の力じゃねーからおごり高ぶんなよ、そこで小さくなってろ」じゃなくて「これが神のバカでかい愛ですよ~。ね~。愛がでかいね~」だったのかなと。それならいいわです。

 ああー。エロ小説を書きたい波が終わってしまいました。没頭できる波を探しています。没頭したい!没頭したいよ~!イメソンでも作りますかね推しの。でもさすがに夜中にギターは弾けないのでどうしようです。やはりギターがないことには……。

 子供の頃にはまっていたことをやるといい気分転換になるみたいな文章を読んだのでまたきかんしゃトーマスプラレールセットといくらかのジャンル様々な人形を手に入れて街を構築して食べ物屋を経営して金を稼ぎたいです。あと土に水路を掘って水を流したいです。おままごとって本当に楽しい。あとサッカーがしたいです。コートが小さいサッカー。それってフットサルか?サッカーとフットサルって何が違うんでしょう、コートの大きさ以外にも違うところってあるのかしら。あとはやっぱり本を読むのがいいですよね、小説を。それは今でもやってるけど量が減ったからなあ。あとはコイバナか……コイバナは相手がいないとできないのが難点ですね。

 今日は情報を探し求めて5chを久々に見たんですけど雰囲気が怖すぎてびっくりしました。人間の悪意と孤独が……。恐ろしかったです。私みたいな人間ってこの空間で呪詛を吐いている人たちにとってはいくら叩き潰しても飽き足らない蝿なんだろうなという感じがしました。

 オモコロの音MAD(ファンの人が作ったもの)というのが存在するのを初めて知って見てみたらすごすぎて圧倒されました。愛だねこりゃ。人間の創造力ってすごいです。

 今朝の5時20分です。元気が全然なくなってしまいました。悲しいです。

 Twitter(x)を久しぶりに始めたら昔ウォッチしていた人が今も元気につぶやいていてくれてとてもありがたかったです。自分の好きな人たちが生きて生活し続けてくれることのありがたさを感じました。

2024年3月14日木曜日 生理腹痛・なんかやる気でてきた

 今日は朝の6時くらいに寝て15時とかに起きたような気がします。生理が来たのでおなかが痛いです。

 今日も昨日と同じような日でした。出かけたくなかったので家にいました。ほとんどソファから動きませんでした。私はこのように自堕落に生活するのが好きでできればずっとこうしていたいと願っていますが、やっぱり他人からの目、特に親戚からの目が気になるたちではあるので、そのことを受け入れて最低限健康的な生活くらいはしておこうかなという気持ちがなくもありません。今は自堕落すぎて糾弾される悪夢を見るからです。そうなると心臓がドキドキして嫌な感じになります。それは避けてなんとか生活していきたいです。

 最近はスティックシュガーをゲットしたのでいろんなものに入れて飲んだりしています。おいしいです。生理だからか甘いものが食べたい欲求が高まっている気がします。おなかが痛いです。

 Twitterとかブログとかやってても書いたものを誰も読んでくれなくてやる気をなくすことがよくある(思ったよりも他人の気を惹けないことがつらい)のですが、私は現実生活だと他人の気を惹く能力がまあまあ高いんだったということを思い出しました。そんなに他人の気を惹きたいなら、ネット上ではどうせパッとしないんだから現実生活の人間関係に全力ベットしたほうが効率がいいのでは?と、思いはしますけどそれはそれで面倒くさくて気が進まないんですねえ。生きていくの面倒くさいなあ。もう少し臆病さが減って生きるのが楽になったらいいのになと思います。死ぬこと以外かすり傷って言いたいなー。でもあれ最近「かすり傷でも痛かった」みたいなタイトルにリネームしてもう一回出版しているらしいし、本当はかすり傷でも痛かったのに「死ぬこと以外かすり傷!!!」って言い聞かせて無理やり自分を奮起させて頑張ってたってことなのかな?この、タイトルを「死ぬこと以外かすり傷」から「かすり傷でも痛かった」にして出版しなおすっていうやり方すごいですよね。私本当に、わーって歓声を上げたいくらい、素晴らしいなと思いました。そんなことができるんだ!って。しかも「死ぬこと以外かすり傷」っていうタイトルが語呂がよくて本当に好きなんです。好きな本のタイトルランキングの中でも上位です。(好きな本のタイトルランキング上位作品はほかに「限りなく透明に近いブルー」もあります。こちらも未読。)読んだことはないので今度元気が出たら「かすり傷でも痛かった」とあわせて読んでみたいです。

 やっと元気が出てきたから明日は引っ越し片付けの続きをしようかな~匿名ラジオでも聞きながら、と思います。音声コンテンツは掃除しながら聞けるのがすごいな~。

 ゲームって自分で考えて試行錯誤してやるのが楽しいけどそれが面倒で積んでしまうときってありますよね~。さっきポケスリのBOX整理をしたんですけどネットで調べたTierを完全に適用してなんにも自分で考えずにやりました。ポケモンがいっぱい送れてスッキリしました。ボックスがいっぱいになることほど萎えることってあまりない。今ピクミンのボックスもいっぱいでこちらは本当に面倒になってしまって一か月くらい放置してます。最近ソシャゲが面倒くさくて全然やってなかったんですけど今日からソシャゲをまた頑張りたい、そんな気分です。人生も今試行錯誤するのが面倒くさくて積んでたんですけど今日からちょっと頑張ってみたいです、そんな気分です。急にすごいやる気が出てきて戸惑ってます。情緒が手に負えない。機序がわからない。生理が来たからやる気が出たのかもしれないです。たぶん私ってかなり生理というか女性ホルモンに人生を狂わされていると思っています。でも今思うと狂わされている反面守られているのかもしれません。というのも私はおそらく二次性徴が始まったであろう8歳くらいまで暴君だったのですがちょうど8歳くらいのときから友達と遊ぶ際に自分がやりたいことばかりしてはいけないという協調性、動物をむやみやたらと殺してはいけないという倫理観、母親をいたずらに苦しめるようなワガママばかり言ってはいけないという自制心など、なんか人間として必要そうな素養を次々と獲得したからです(と自分では思っています)。また、小学校5年くらいからやたらと落ち込みやすくなったり、おしゃれと恋愛に関心を持ったりとめちゃくちゃ思春期っぽい感じの変化があったと記憶しているので、人類の中でも比較的、ホルモンを分泌する機構の発達が顕著に人格形成に影響しているタイプの人間なのではないかと思っています。なので最近まったくやる気がなくて砂糖水ばかり飲んでいたのは生理前だったからである可能性が高いと見ています。そして今生理が始まってやたらやる気が出ているのも因果関係あってのことであると見ています。生理とやる気に関する研究ってまだスタンダードだと言えるほどのものがないと思っていて、たぶんそれは個人差があまりにも大きすぎるから一概に言えないせいだとは思うんですけど、それが生理のせいだってことになってくれたら救われる無気力女たちも多くいると思うので、やる気のなさが生理のせいになってくれないかなーと願っています。

2024年3月13日水曜日の日記 気分良好

 今日は夜更けに寝て昼過ぎに起きました。最近はずっと匿名ラジオを聞いていますが本当に全部面白くて感動しています。でも次から次へいろいろ聞きすぎてどれが面白かったか憶えていられないのが難点です。400以上も聞くものがあるのは嬉しくも恐ろしいです。CDを買うかどうか迷っています。

 匿名ラジオ#314で小ネタが出たのを切っ掛けにものすごく久しぶりに(10年ぶり~14年ぶり)「結ンデ開イテ羅刹ト骸」のMVを見たら神曲すぎて腰を抜かしました。すごすぎる。

 一度読んで良さが分からなかった小説があったんですけどそれはその小説が扱っている題材に対する偏見的なものによるもので、同じ題材を扱った他の小説でその偏見的なものがボッコボコのベッキベキになったあとに最初の受け付けなかった小説を読んだらめちゃくちゃ面白くてものスルメみたいにその小説の旨味が文章の端々からわかって、目から鱗でした。

 今エロ小説を書いてるんですけど書きたいものが思いついてもなんとか繋げて行く中でストーリーが分岐しちゃって軌道修正するのが大変です。いや私は今こいつを絶頂させるために小説を書いてるのに弱気になってセックス相手を帰らせちゃってどうするよ。でも帰しちゃいそうなんだよなこいつ土壇場でひよってセックス相手をさあ。と脳内会議が紛糾しています。自分との約束は守らないとなあ。なんとか帰らせないようにつじつまを合わせてみます。なんとか理由をつけて……この理由をひねり出すのが楽しい、けれども難しい。時間がかかる、けど楽しいです。なんといっても自分の書いた小説のいいなと思うところは自分の語彙と自分のコロケーションで書かれているので読んでいて文章につまずくことがないということと、「書けさえすれば」自分の癖(ヘキ)にあった小説が読めるということなんですけれども、それでもやはり他人のエロ小説ほど興奮することはないので、やっぱり自分で自分をくすぐるのには限界があるのかもしれないなという感じはします。

 推しが結婚したらどうする問題。推しが結婚したら普通に爆裂祝いたいですけどたまに本当に祝えるだろうかと不安になることがあります。ですがこの度、かなり強度の高い確信を得ることができたので安心しています。現実の推しはどこまでも幸せになるが良い。現実がどうあれ推しは私の頭の中で無限の可能性の中に生き続けるのだから。……と、聞かせる人を間違えると絶縁されかねない理論をもって私は現実のままならなさを受容するにいたったのでした。私はたぶんこの、現実と妄想の切り離しをうまく行えると思います。なんて、私にとっては大きな発見だけどこれって推しを推す時の必須スキルであって、推しへの愛にのまれて溺れている女子中学生以外はみんなこれを備えてたりするのかもしれませんね…(これは、推しに関する現実と妄想を区別できてる人ってあまり見かけないよねっていう皮肉です。嫌味でごめんなさい。)

2024年3月12日火曜日 呪術的思考

 呪術的思考(魔術的思考ともいうらしい)に照らして物事を解釈すると心が落ち着いていいなと思いました。その一例として「お悔やみ」があげられます。私は今までお悔やみというものがわからなくてモヤモヤしていました。そして、「お悔やみ」は呪術的思考によるものである……つまり、「おまじない」である、と考えるに至ったのです。「お悔やみ」によって故人を慰霊しているのだ、と。そしてまた、これは呪術的思考とは違うと思うのですが、「お悔やみ」を表明しあうことで人々は連帯感を強め、互いに慰めを得ているのだと思いました。

 また、人はいろんなジンクス(呪術的思考)を持って生きていて、それは到底わかりあえないものなのではないかと思いました。そうであれば、他人の生き方が鼻につくことがあっても、「それはその人なりの生きていく上の呪術的思考だから、私には理解できないし、だからといってその人の呪術的思考が私のそれに比べて劣っているということではない」と考えることができ、それは私が生きていくうえで有用な考え方だと感じました。あなたにはあなたの呪術があり、私には私の呪術がある。もしその呪術が対立してしまったら、そのときに改めて対立すればよくて、互いに没交渉で生きていくぶんにはわざわざ他人の呪術に心かき乱さなくともいいかもな、と思いました。あーでもそう思ったところで乱されるよ~。ちょうど今日心かき乱されたのは無断転載に無頓着な人を見たことです。くー、無断転載はついムカついて断罪してしまう。でも無断転載は法律違反ですから、わざわざ私が怒りによって裁く必要はないのかもな……。なんにせよ、人には人の乳酸菌、人には人の呪術です。言い聞かせていけばなんとか。

 私は、多くの人がそうであるように、他人に自分の何かを指摘されるのが大嫌いなのですが、そういうときに相手に対して激烈な憎しみを抱く代わりに、「それってあなたの呪術ですよね」(ひろゆきが言っている「それってあなたの感想ですよね」の真似)って言えるんじゃないかと思うんです。この考えは今初めて浮かんだものではなく、何年か前(3年以上10年未満)のことですが、私に対して頻繁に、よかれと思って(立場上、というのもあったと思います)何かと私のやり方とか考え方を指摘してくる人がいて、それが私は憎くてたまらなかった、ということがありまして、そのときに悶々と考えていたら、人生って「遊び」なんじゃないか、と思ったことがあったんです。人ってそれぞれが自分の遊びのルールを勝手に設定して勝手に守ったり守れなかったりしながら生きているだけなんじゃないかな、と。その私になんだかんだ指摘をしてくる人も、ただ自分の遊びのルールに従って生きていて、私に対してもそのルールに則って指摘をしてくるけど、それはその人の遊びであって趣味なんだから、必ずしも私がそれを聞く必要もないんじゃないか、と。例えば、「水がもったいないから、水道を使うときに水を流しっぱなしにしないよう気をつけよう」みたいなことを人が他人に言うことはよくあるけど、それすらも言っている側の遊びであって趣味なのだから、必ずしも言われた側が聞き入れなくてはならない道理はないだろう、と思うのです。世の中にはそういう、大体の人が受け入れている正義みたいなものが結構あるけれど、それって絶対的なものではなくて相対的なものなんじゃないかなと、そのときに思ったのでした。だからどんなに社会において正義とされている行為(エコとか反差別とか)であっても、それに賛同していない人たちに対して「あーあーあー、こういう馬鹿がいるから面倒なことになってるんだよねえ!常識的に考えてこんなの、人間社会で生きていくなら当然アグリーな話でしょ?!お前ら馬鹿なの!?知識もなければ向上心もなくて、おまけに人の心もないの!?」みたいな態度じゃなくて、お願いベースで対峙していくべきじゃないか?という気がしました。こんなの理想論なのかなー。やっぱり初手で噛みついて徹底的にkillしあうのが野蛮な人類にはお似合いなのかなー。

 なんで私って相対化するのが好きなんだろう。やっぱり自分を正当化できないのはつらいからか?

 今日は人には言えないようなR18作品を見ていて、うわーこれは社会的に完全にダメなやつだと思いながらも熱中してしまったので、児ポ好きな人もこういう感じなのかなと思いました。私はできればすべての子どもが幸せであってほしいと願っている派の人間なので自分と児ポ好きに連続性があるなどとは露ほども思ったことがなかったのですが、私と児ポ好きは延長線上にいるんだと思いました。私が児ポ好きではないのはたまたまなのだと思います。この感覚は殺人に関してもあって、一時期脳だか神経だかの調子が悪かったころは、自分が人を殺す可能性は全然あるなと感じていて、そこまで状況が悪くないし親戚が悲しむのも嫌だからまだ誰も殺してないだけだという感覚がありました。ので、殺人のニュースを見たときに犯人に同情することがたまにあります。でも最近、死にかけのゴキブリを殺すのにも肝が冷えて血の気が引いたので、こりゃ人間は殺せなさそうだなと思いました。

 社会的にダメだと思いながらもしてしまうことの話って、すると「ダメだと思ってるなら改めなさいよ」ってなっちゃうからあまりできない、ので、他人の「社会的にダメだと思っているがしてしまうこと」ってあんまり見れなくて貴重かも、と思いました。最近流行ってる汚部屋のお片付けの動画とかってそれに近いものがある感じがします。汚部屋に住んでる人って多くは「こんなに部屋が汚いなんて社会的にだめだよな」って思いながら生きてて、でもそれを今片付けているっていう免罪符があるから動画にできるというか。社会的にダメだと思っていることって普通に犯罪だったりすることが多いから人に話して共有とかそうそうできないですよね。でもそういうのこそ興味深いよなあ。

 熱に突き動かされて生きることができるのは素敵なことだと思いました。私もそう生きたいです。何かにハマれるのはいつでもできることではないなという感じがしました。だからこそできそうなときはハマれるだけハマっておけばいいよなと思います。体力を温存したところで火が消えてしまえば燃え続けることはできないのです。

 今日は14時に寝て22時過ぎに起きました。カルピスミカン味がおいしすぎて3日で1本飲んでしまいました……。

 自家発電(本当の発電ではなく、オタク用語の方の自家発電)に少し手ごたえを感じています。自分で書いたものを読んで「そうそう!そういう関係性が読みたかったんだよ~これこれこれ~」と思えるのは嬉しいことだなと思いました。しかも誤字を発見したりちょっと言い回しに違和感があったりしたらいつでもノータイムで即修正できるのもgoodです。でもエロは恥ずかしくて書けないので、エロを書いてくださる方のありがたさが一層分かるようになりました。心から感謝します。尊敬しています。本当にありがとうございます。私はエロを書けたことが……あ、そういえばありました!一回だけ軽めではありますがはっきりとR18といえるであろうエロ小説を書いたことがありました。でもそれって私の脳にあるエロの0.01%……というか、脳にあるエロの原風景(?)を書いているというよりは、書くときは書くとき用のエロをその場でこしらえている感じがします。まあ書くとき用のエロといっても、その語彙だとかシチュエーションは脳にある原風景のエロから持ってきたものなんだろうから、影響はあるっちゃあるんでしょうが、でも、私はエロを書くとき漉して書いているなというような感じがすごくします。もしかしてこれって、妄想するときに使っている脳と、書くときに使う脳が違うからじゃないでしょうか!?(なんかこの話したことあるかもしれない。してたら恥ずかしいな、すっかり忘れちゃってる記憶力のなさが……)

2024年3月10日日曜日の日記 昼夜逆転中

 今日は礼拝あるの忘れて4時まで起きてしまったので眠さでフラフラになりながら礼拝に行きました。家に帰って14時くらいから21時まで7時間追加で寝ました。9時くらいにカルピスとプロテインを飲んだだけだったのですが、22時現在、意外とお腹が空かないです。午前0時に日本酒で晩酌しながらnoshの鶏肉料理を食べました。飲酒は気分が上がって最高に楽しいけど味は全然好きじゃないですわ、やっぱり。カルピスがおいしすぎる~。勝負にならないです。日本酒をカルピスと混ぜたらまあまあイケたけど、カルピス単体のほうが圧倒的にうんまいです。でもこの味を我慢してでもお酒で頭をふわふわしたいですね。お酒で頭がふわふわになるのはいいけど飲みすぎると二日酔いになるのも恐ろしいなと思います。大学生のときに飲み会で飲みすぎてひどい二日酔いになったときは日常と隣り合わせの死を感じました。もう二度とあんな経験はしたくないです。

 JINを読んでいます。面白いです。すごいマンガだなあ。名作だこりゃ。

 今無職なので収入がない(夫の稼ぎがいいので何不自由なく生活している)です。貯金もあと20万なのでそろそろバイトをしないといけないけどちょっと考え中。一日三時間の高齢者施設の手伝いバイトいいかもな~。家から近いバイトがいいです。

 久々に芸能人に熱をあげており、推しが生きていて嬉しいを日々実感しています。推しが生きていて、しかも露出が多くて、嬉しい!